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<tabacco 煙草>

 紙巻き煙草がヨーロッパに広まったのは、クリミア戦争以降です。
 トルコ兵やロシア兵が刻みたばこを紙に巻いて吸うのをまねした兵士たちが母国にその習慣を持ち帰ったのです。
 それまで、煙草といえば、主流はパイプと葉巻きでした。
 葉巻きはもともと遊び人のものとされていましたが、ビクトリア女王(煙草大嫌い)のだんなさま、アルバート公が葉巻き大好きだったので、紳士の煙草に化けました。
 すると、今度はパイプの方が労働者の煙草とみなされるようになってしまいました。

 まぜものをされた品質のよくない煙草も多かったのです。
 煙草にダイオウ、ゴボウ、オオバコなどの葉がまぜられていたそうな。
 漢方薬? 身体にはよさそうですね。
 

<tea お茶>

 ティーカップから受皿(ソーサー)にお茶をうつして飲む、という飲みかたは、労働者階級では一般的でした。
 
 お茶は17世紀にイギリスにはいってきました。
 最初は中国渡来のお茶碗で飲まれましたが、やがて安い国産品のティーボウル(お茶碗)がうまれます。
 ただし、ティーボウルから直接お茶を飲むのではなく、一度、深皿にうつされて、さましたお茶を飲んだのです。
 このイギリス製のお茶碗がしだいに、持ち手のある現代のティーカップにとってかわられるようになりました。
 カップ&ソーサーの形になっても、ティーボウルから深皿に移すという習慣がティーカップから受皿に移すという形で残ったと思われます。
 
 アンティークのティーカップの受皿はとても深くて、カップの中身を全部
 いれることができる、と「なんでも鑑定団」で見たことがあります。

<theater 劇場>

 上流の人々にとっては、芝居を見るよりも、ゴシップを交換したり、最新ファッションを仕入れたり、美人を探したりする方がメインでした。
 この、おえらいさんたちがつれてきた、おつきの召し使いや、下々の観客は、安い天井桟敷で芝居を見物したのですが、彼らはほとんどフーリガンでした。
 ひいきの役者には、大声で声援を送り、大拍手をするのですが、気に入らないと、ものすごいヤジを飛ばし、足を踏みならして、大騒ぎです。
 その後、キャットコールという、ホイッスルのような、かん高い音の笛をもちこみ、ぴーぴー鳴らすことが大流行。
 しかし、はやりというものはすたれるもので、この笛もいずれあまり使われなくなりました。
 かわりにもちいられたのはオレンジです。これを天井桟敷から舞台に向かって投げつける。さらに、りんご、じゃがいももぶん投げられました。役者も命がけです。
 花火を投げたバカもいたそうな。
 こんなところに子供が行ったら、泣きますね。

<toilet トイレ>

 一般家庭のトイレは、屋外便所がほとんどでした。
 上流家庭になればなるほど、水洗便所の率は高くなりましたが、それでも6割以上が屋外便所でした。
 こった美しい便器も作られましたが、どんなにきどってもトイレはトイレ。
 なるべく人目につかない場所にと、地下や裏庭に設けられました。 
 ですから、夜中にトイレを使いたい時に、わざわざそんなところまで行かずにすむように寝室にはおまるが用意されているのが普通でした。

 トイレットペーパーとして用いられたのは、新聞紙を適当な大きさに切ったものです。
 が、当時の新聞紙の紙質を考えると、あまり使いごこちはよくなかったでしょう。
 その後、四角い紙のトイレットペーパーが、やがて、ロール式のものも売られるようになりました。
 けれども、ミシン目がはいっていなかったので、トイレの戸棚には、トイレットロールと紙を切るナイフが常備されていたそうです。

 ご婦人たちは外出の際にトイレに行くのを、人に悟られるのを恐れて、
 扇の握り部分にある小さな隠しポケットに、トイレットペーパーをしのばせていたとか。

<treadmill 踏み車>

 踏み車、というものにはいろいろな形がありますが、要するに、水車は水で、風車は風で動かすのに対し、踏み車は足で踏むことで回転させる車輪です。
 用水路などにある、小さな踏み車などを見たことのあるかたもいるでしょう。
 ここで説明する踏み車は、ビクトリア時代の監獄に設置されたものです。
 かわいく言えば、<ルームランナー拷問バージョン@監獄・>です。
 うーん。やっぱり殺伐とした匂いは消えないか。

 踏み車は1817年にBrixton監獄に初めて設置されました。
 もちろん、水をくみあげるため、という実用的な踏み車もありましたが、ほとんどが拷問目的でした。
 その証拠に、風圧を使った調節弁がつけられていて、回転をきつくして、罪人たちがいくらがんばって踏んでも、なかなか回らないようにすることができるようになっています。
 1分間に2回転する巨大な車輪の上を15分間歩き、ベルが鳴ると次の人と交替する、というローテーションで、監獄によって回転数は違いましたが、一万歩以上歩くことになるのは、どこもかわりありませんでした。
 しかも、これは車輪の上を歩くわけですから、平面を歩くのでなく、永遠に続く階段をのぼっているのと同じです。
 別名。「到達点のない階段」「永遠への階段」「ジャック・ザ・スリッパー」「人生の車輪」
 ロクな食事も与えられず、こんな苦行をさせられてはたまりません。
 当然、わざと足に傷をつけたり、仮病を装おったりして、さぼる人間が続出しました。

 それにしても、なんのためにこんなものを作ったのか。

<train 列車>

 諸説ありますが、1830年に世界最初の鉄道の定期運転がマンチェスター〜リヴァプール間を走るようになって以来34年間、イギリス国内の鉄道で一度も殺人事件が起きなかったのは奇跡ともいえましょう。
 なぜなら、当時の列車は、一等、二等といった高級な座席になればなるほど、客車が「密室」になるのです。
 どういうことかというと、客車には通路がなく、竹の節のように、ひとつひとつの客室(コンパートメント)が完全に独立していたのです。
 ですから、プラットフォームから客室にはいってドアを閉めると、もう途中でおりることのできない、走る密室となったのでした。
 アカの他人と長時間密室でふたりきりになったりしたら、怖いですよね〜。
 痴漢はいただろうな。
 トイレにもいけなかったんだし。たいへんですね。
 しかし、やっぱりと言うべきか、ついにある日、とある紳士が客室内で殺され、死体を窓からぶんなげられる、という事件が起きました。
 その後、客車に通路をつけ、客室のドアにのぞき穴をつける、などという改良がなされるようになりましたが、評判は悪かったそうな。
 のぞかれる方が殺されるよりマシだと思いますけどね〜。
 トイレにも行けるし。

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