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<Crystal Palace 水晶宮>

 1851年5月1日からハイドパークで開催された、万国博覧会の会場として、パクストンの設計したガラスと鉄骨の巨大な会場が、クリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれました。
 入場料は月曜から木曜までが1シリング(1シリングは12ペンス)。
 金曜が2シリング6ペンス。
 土曜日が10シリング6ペンス。
 土曜日は上流階級の入場者が多く、ゆったりと見ることができました。その日は車椅子がたくさん用意され、貴婦人たちはその車椅子を使って、のんびり見物しました。
 客層は月曜が商店主や労働者、火曜は田舎の人が多く、水木は比較的すいていました。
 この万博のために展示品としてインドから送られたのが、かの有名なコイヌールダイヤモンドです。これは女王様に献上されました。
 万博では、初の有料公衆便所が設置されました。有料でも、大好評だったそうです。
 そりゃそーだ。
 この時の収益で購入されたのが、サウスケンジントン博物館とアルバートホールが現在
建っている土地です。このふたつはクリスタルパレスの遺産というわけですね。
 

 あまりにも美しい建物なので、万博閉幕後にこれをつぶしてしまうのは惜しいと、ロンドン南のシデナムの丘に移築されました。
 内部に大温室、ジオラマ、美術館、博物館、工芸品などの展示ブース、オーケストラ舞台などが作られ、展示ブースはショッピングモールとなり、アルコールも販売されました。
 屋外の広大な庭園には大噴水や池が作られて、そのまわりに等身大の恐竜模型が設置され、人々はゴンドラに乗って、見物することができました。
 これはアレですね。ディズニーランドのジャングルクルーズと汽車ぽっぽで、我々も体験できますね。
 コンサートホールがとても有名で、毎土曜日の午後に40年間にわたって、クラシック音楽の演奏会が開かれました。
 花火、綱渡り、ペットショー、ちゃりんこレースなど、さまざまなイベントが行われた大人気のレジャーランドでしたが、だんだん人気にかげりが見えるようになりました。
 シデナムに移築後の入場料は、普通は1シリングで、シーズンチケット(定期券)が1ギニーでした。
 ちなみに1シリング(銀貨)は12ペンス(銅貨)
 1ギニー(金貨)は21シリングです。・・なぜ、21?
 そして1939年11月30日。事務室の一角から出火し、全焼してしまいました。
 ただし、例の恐竜くんたちは無事に生き残り、いまもクリスタルパレスパークにいます。

 ところで、ビクトリア女王とアルバート公(女王のだんなさまです)が中央にいらっしゃる有名な万博の記念写真がありますが、この写真でビクトリア女王のそばに東洋人のおじさんがひとり写っています。
 この人は、カメラマンが写真の準備をしている時にそのへんをうろうろしていたので、「きっと東洋からのお客様が迷っているに違いない」と、スタッフが国賓クラスの位置に案内して、写真を撮ったのでした。
 でも、実はこのおじさん、中国人のお掃除おじさんかなんかだったんですね〜。

 もうひとつ、くだらないトリビアを。
 シデナムで1854年6月10日にリニューアル開館したクリスタルパレスですが、
本当は5月1日に開館する予定でした。なぜ遅れたかというと、え〜と、
男性裸像の隠しておきたい部分を隠す作業に手間取ったからだそうな。
(まあ、そればかりではないようですけど。工事の遅れもあったらしい)

補足。

 Crystal Palace Foundation http://www.crystalpalacefoundation.org.uk/
 に、シデナムに移築後の入場料について質問をしたところ、翌日、お返事がきました。

Aproximately 1shilling for a single admission to get inside the grounds and building but events and exhibitions within the building would also have been chargeable. Various types, periods and prices of season tickets were also available. Prices would obviously increased over the years.

 つまり、基本的には敷地内と建物への入場料が1シリング。(ディズニーランドの入場料にあたります)
 しかし、中にはいってから、アトラクションを楽しもうとすると、別料金が必要になることもありました。
 また、シーズンごとや、期間ごとのパスポートチケットもありました。
 で、当初は1シリングだった入場料も、だんだん値上がりしていったそうな。
 まさに現代のディズニーランドと同じですね〜。

補足その2。

In 1868, the Palace had the first public showing of moving pictures using a Zoetrope. Every Thursday night from 1865 was reserved for Brocks benefits fireworks displays until they ceased in 1935. On the occasions of the Grand Displays over 5 tons of material was consumed and, in a set piece, over seven miles of quickmatch was used. The standard price of admission to the Palace and grounds was 1/- but on special days admission prices varied enormously - on one day 30,000 visitors paid one guinea each to visit a flower show and the admission price to a dramatic event was 2/6d . Visitors could also purchase season tickets for various periods, and in 1859 a lady could purchase an eight-month ticket for 10/6d

1865年から1935年まではブロックス花火会社が毎週木曜の夜に花火をあげていました。
花火大会では火薬が5トンも使われました。
ふだんの入場料は1シリングでしたが、スペシャルデイの入場料は高くなりました。
あるフラワーショーの場合には、入場料が1ギニー。入場後、特別展示やイベントを見ようとすると、2シリング6ペンスの追加料金が必要でした。
また、さまざまな定期券が発行されました。
1859年にある婦人が8ヶ月定期券を10シリング6ペンス(半ギニー)で購入した記録が残っています。

その定期券の画像がありました。こちらです。
http://www.ric.edu/rpotter/ticket.jpg

1シリングデイのプログラムです。
http://www.ric.edu/rpotter/handbills.jpg

おばけとんぼとか、分解されてもとに戻る電気魔術師とか、そんな文字が見えて、かなり見世物小屋くさいにおいがぷんぷんするのですが。

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