屋敷内の女性スタッフにはさまざまな階級が存在しました。
トップは家政婦。女中の採用、免職、監督を担当します。
その下が家女中。
さらに下が台所女中で、料理番のアシスタントをつとめます。
そしていちばん下に位置するのが、哀れな皿洗い女中(流し場女中)です。
その名のとおり、皿や鍋をひたすら洗い続けるのが仕事で、手はいつも荒れていました。
扱いも地位も最低で、奴隷のように働かされ、ほかの使用人からはさげすまれました。
つまり「皿洗い女中のように働かされる」という比喩が出てきたら、それは
「奴隷のように」「牛馬のように」という意味なのです。
秋冬の間、上流階級の人々は家族ぐるみでロンドン北の領地に戻り、ウズラだのキジだのキツネだのを狩って、のんびり過ごします。
で、クリスマスころになると、議会の始まりにそなえて、ぼちぼちロンドンに戻り始めます。
三月の復活祭が終わると、いよいよ本格的な社交シーズンが始まり、舞踏会、晩餐会があちらこちらで連日、開かれます。
真のシーズンといえるピークは5〜7月の3ヶ月間です。
デビューし、王宮で国王陛下、女王陛下に正式にお目通りかなうようになった娘たちは、このシーズン中に100以上のパーティーに出席します。
目的は、結婚相手の獲得! です。
おそろしいことに、2、3シーズンのうちに結婚相手をつかまえることができなければ、その女性は「売れ残り」とみなされ、30歳をすぎれば、「絶望的ないかず後家」だそうです。
(あたしが言ったんじゃないですよ。そう言われてたんですよ〜。おこらないで〜。
そんなあたしは申年生まれ。)8月12日は議会が閉会となる日で、この日、貴族やジェントリたちはいっせいに北の領地に家族をつれて帰るのでした。この日はライチョウ猟の解禁日でもあります。
9月1日はウズラ猟の解禁日。
11月の第1月曜日にあの有名な狐狩りが解禁になります。
どちらもビクトリア時代に大流行でした。
これにホームズの産みの親、コナン・ドイルが夢中だったのは有名ですね。交霊会は、霊との交信が目的でおこなわれる会で、霊媒を介してあの世の霊と話をしたり、あの世からメッセージを受けたり、霊そのものを呼び出して質問をしたりするものです。
たとえば、こっくりさんや、イタコの口寄せなども、交霊会になります。降霊会は、霊現象を求めるもので、こちらは交信が目的ではありません。
霊の手型をとるとか、ポルターガイストを見るとか、心霊写真を撮るとか、現象そのものが目的になります。
独身男が多かった江戸の町では、屋台が発達しましたね。
そば屋、すし屋、おでん屋など、ファーストフードの屋台がたいそう繁盛しました。
ロンドンの町でも、屋台や呼び売りはとても多かったのです。
理由は、貧しい人々の家は狭く、台所や調理器具がなかったので、テイクアウトの食べ物を買う必要があったからでした。
とはいえ、売られていた食べ物は、現代の庶民の食べ物に似たもので、さほど貧しいそまつなものではありません。
朝はコーヒーストールで熱いコーヒー、紅茶が飲めます。
昼は魚介類がたくさん。
夜はうなぎ。これはうなぎをブツ切りにしてゆでたものです。そしてエンドウ豆のスープ。
フィッシュ&チップス、ベイクトポテト、腎臓のプディング、牛や羊肉のパイ。
デザートは、レーズン、さくらんぼ、すぐり、クランベリー、りんごなどのタルトやケーキ。
バンズ、マフィン、クランペットなどのお茶用のパン類。
ああ。よだれが。
かごや手押し車や弁当売りよろしく胸からさげた箱に売り物を入れて売り歩く呼び売りがロンドンの街には大勢いました。
くだもの、野菜、パン、お茶菓子といった食べ物や、ゆびぬき、くし、インクつぼといった小物や、花などが売られていました。
18世紀になると新聞の呼び売りもあらわれます。
ペットフードも売られていました。
『ドリトル先生』に出て来るネコ肉屋のことですね。
くず肉、馬肉、内蔵などを、猫や犬のえさとして売り歩いていたのです。