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<carriage 馬車>

 馬車は、現代の自動車と同じで、ステータスシンボルでもありました。
 馬車を持つ、つまりそれは、御者や馬丁を雇うだけの経済力があるということで、それは上流階級、上層中流下級(アッパーミドル)の証明だったのです。
 大ざっぱに言うと、馬車はキャリッジとワゴンに別れます。
 キャリッジはおしゃれな、人間を運ぶ馬車で、ワゴンはいわゆる荷馬車です。
 もちろん、上流階級が持ちたがったキャリッジには、フェイトン、バルーシュ、ランドー、ヴィクトリア、カーリクル、ブルームなど、さまざまな種類がありました。
 人気のタイプは屋根なしタイプが多かったのですが、なんといっても、ステータスシンボルですから、乗っている人は顔をはっきり見せて、自慢したかったのでしょう。
 馬車にも序列があって、紋章つきのキャリッジが一番、格上とみなされました。
 さまざまな種類のキャリッジ、そして乗り合い馬車と続き、さらに格が下なのはトラップなどのごく小さな軽馬車です。これは原チャリくらいですかね。
 その更に下なのが、カートやワゴンなどの荷馬車になります。これはちゃりんこ程度でしょうかね〜。

 箱型馬車のブルーム。これは高級感が漂うということで、いちばん格上でした。

人気の馬車フェイトン。車高が高いのでハイフライヤーとも呼ばれました。
でも乗るのがたいへんだったので、だんだん人気にかげりが。

女性に人気のヴィクトリア。

ロンドンのゴンドラと呼ばれたハンサムキャブ。
縦長で、御者はうしろの台にのります。

ロンドンの交通。
いろいろな種類の馬車がひしめいていますね。

<cook 料理人>

 料理人もまた、お屋敷の使用人の中では、上級使用人にあたります。
 最初は、厨房の隣の部屋で「皿洗い女中(スカラリーメイド)」として修行をつみ、やがて、料理の手伝いをさせてもらえる「台所女中(キッチンメイド)」に出世し、つとめあげれば、最終的に厨房の女王たる「料理人(コック)」になれます。
 家政婦も、料理人の仕事の領域に口を出すことはできません。
 
 料理人は、肉を焼いた時に出る脂、「ドリッピング」を集めて行商人に売ることで、おこづかいを得られるという役得がありました。
 また、出入りの商人たちからの手数料、つまりワイロを、ぽっけに入れることもできました。

 もちろん、御主人はおもしろく思っていませんでしたが。

<Cremorne Gardens クリモーン庭園>

 現代でいう遊園地、テーマパークのようなものが、当時のロンドンにはたくさんありました。
 プレジャーガーデンズと呼ばれています。
 クリモーン庭園はチェルシーの「スタジアム」というプレジャーガーデンズを前身として、1845年に開園しました。
 ディズニーランドのように、きれいな遊歩道、楼閣、喫茶店がもうけられ、舞踏会、サーカス、芝居小屋、ポニー競馬などの娯楽が豊富でした。
 特に有名だったのが、気球ショーと、午後11時半の花火ショーです。
 花火の音に相当苦情があったようですが、大人気だったので、無視されました。
 
 最初は健全な遊園地だったここも、のちにはロンドン一のいかがわしい場所となり、娼婦などが集まる、悪の巣窟になってしまいました。
 1874年5月に「空飛ぶ男(フライングマン)」が気球ショーで失敗し、墜死したのがきっかけで、ついに閉園においこまれました。

<Crystal Palace 水晶宮>

 1851年5月1日からハイドパークで開催された、万国博覧会の会場として、パクストンの設計したガラスと鉄骨の巨大な会場が、クリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれました。
 入場料は月曜から木曜までが1シリング(1シリングは12ペンス)。
 金曜が2シリング6ペンス。
 土曜日が10シリング6ペンス。
 土曜日は上流階級の入場者が多く、ゆったりと見ることができました。その日は車椅子がたくさん用意され、貴婦人たちはその車椅子を使って、のんびり見物しました。
 客層は月曜が商店主や労働者、火曜は田舎の人が多く、水木は比較的すいていました。
 この万博のために展示品としてインドから送られたのが、かの有名なコイヌールダイヤモンドです。これは女王様に献上されました。
 万博では、初の有料公衆便所が設置されました。有料でも、大好評だったそうです。
 そりゃそーだ。
 この時の収益で購入されたのが、サウスケンジントン博物館とアルバートホールが現在
建っている土地です。このふたつはクリスタルパレスの遺産というわけですね。
 

 あまりにも美しい建物なので、万博閉幕後にこれをつぶしてしまうのは惜しいと、ロンドン南のシデナムの丘に移築されました。
 内部に大温室、ジオラマ、美術館、博物館、工芸品などの展示ブース、オーケストラ舞台などが作られ、展示ブースはショッピングモールとなり、アルコールも販売されました。
 屋外の広大な庭園には大噴水や池が作られて、そのまわりに等身大の恐竜模型が設置され、人々はゴンドラに乗って、見物することができました。
 これはアレですね。ディズニーランドのジャングルクルーズと汽車ぽっぽで、我々も体験できますね。
 コンサートホールがとても有名で、毎土曜日の午後に40年間にわたって、クラシック音楽の演奏会が開かれました。
 花火、綱渡り、ペットショー、ちゃりんこレースなど、さまざまなイベントが行われた大人気のレジャーランドでしたが、だんだん人気にかげりが見えるようになりました。
 シデナムに移築後の入場料は、普通は1シリングで、シーズンチケット(定期券)が1ギニーでした。
 ちなみに1シリング(銀貨)は12ペンス(銅貨)
 1ギニー(金貨)は21シリングです。・・なぜ、21?
 そして1939年11月30日。事務室の一角から出火し、全焼してしまいました。
 ただし、例の恐竜くんたちは無事に生き残り、いまもクリスタルパレスパークにいます。

 ところで、ビクトリア女王とアルバート公(女王のだんなさまです)が中央にいらっしゃる有名な万博の記念写真がありますが、この写真でビクトリア女王のそばに東洋人のおじさんがひとり写っています。
 この人は、カメラマンが写真の準備をしている時にそのへんをうろうろしていたので、「きっと東洋からのお客様が迷っているに違いない」と、スタッフが国賓クラスの位置に案内して、写真を撮ったのでした。
 でも、実はこのおじさん、中国人のお掃除おじさんかなんかだったんですね〜。

 もうひとつ、くだらないトリビアを。
 シデナムで1854年6月10日にリニューアル開館したクリスタルパレスですが、
本当は5月1日に開館する予定でした。なぜ遅れたかというと、え〜と、
男性裸像の隠しておきたい部分を隠す作業に手間取ったからだそうな。
(まあ、そればかりではないようですけど。工事の遅れもあったらしい)

補足。

 Crystal Palace Foundation http://www.crystalpalacefoundation.org.uk/
 に、シデナムに移築後の入場料について質問をしたところ、翌日、お返事がきました。

Aproximately 1shilling for a single admission to get inside the grounds and building but events and exhibitions within the building would also have been chargeable. Various types, periods and prices of season tickets were also available. Prices would obviously increased over the years.

 つまり、基本的には敷地内と建物への入場料が1シリング。(ディズニーランドの入場料にあたります)
 しかし、中にはいってから、アトラクションを楽しもうとすると、別料金が必要になることもありました。
 また、シーズンごとや、期間ごとのパスポートチケットもありました。
 で、当初は1シリングだった入場料も、だんだん値上がりしていったそうな。
 まさに現代のディズニーランドと同じですね〜。

補足その2。

In 1868, the Palace had the first public showing of moving pictures using a Zoetrope. Every Thursday night from 1865 was reserved for Brocks benefits fireworks displays until they ceased in 1935. On the occasions of the Grand Displays over 5 tons of material was consumed and, in a set piece, over seven miles of quickmatch was used. The standard price of admission to the Palace and grounds was 1/- but on special days admission prices varied enormously - on one day 30,000 visitors paid one guinea each to visit a flower show and the admission price to a dramatic event was 2/6d . Visitors could also purchase season tickets for various periods, and in 1859 a lady could purchase an eight-month ticket for 10/6d

1865年から1935年まではブロックス花火会社が毎週木曜の夜に花火をあげていました。
花火大会では火薬が5トンも使われました。
ふだんの入場料は1シリングでしたが、スペシャルデイの入場料は高くなりました。
あるフラワーショーの場合には、入場料が1ギニー。入場後、特別展示やイベントを見ようとすると、2シリング6ペンスの追加料金が必要でした。
また、さまざまな定期券が発行されました。
1859年にある婦人が8ヶ月定期券を10シリング6ペンス(半ギニー)で購入した記録が残っています。

その定期券の画像がありました。こちらです。
http://www.ric.edu/rpotter/ticket.jpg

1シリングデイのプログラムです。
http://www.ric.edu/rpotter/handbills.jpg

おばけとんぼとか、分解されてもとに戻る電気魔術師とか、そんな文字が見えて、かなり見世物小屋くさいにおいがぷんぷんするのですが。

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