はじめに わたしは1998年に翻訳家としてプロデビューしました。
デビュー前に某翻訳学院の通信教育を二年、同学院の通学教育を五年、さらに別の某翻訳アカデミーの通学教育を三年、受講しています。
計十年。
長い。長かったー。
費やしたものは年月ばかりではありません。学校に通うにはおカネがかかります。わたしの場合は十年間をざっとならして、一年にだいたい二十万かかりました。
十年で二百万だよ。
ふう……(遠い眼)。
まあ、それはともかく、プレ翻訳家を十年、しかもその間、翻訳学校に通い続けた経験(あ、通ったのは八年か)のあるわたし。
翻訳家志望の方々の気持ちは、きわめて非常にきりきりみっちりわかるつもりです。
てゆーか、どっぷり体験済みだわ。
ここではデビュー前に先生や先輩に習ったこと、プロになってからわかったこと、プロ志望の人が知っておいた方がいいことなどをご紹介していきます。
ただ、おことわりしておきますが、わたしが知っているのは文芸翻訳の分野だけです。実務や映像の方の事情はまったく知らないので、このホームページで書いていくことはすべて、文芸翻訳についてです。その点をお含みおきくださいませ。
それでは、すこしでもお役にたてますように。「翻訳家のひよこ」 http://nakamura.whitesnow.jp
中村有希
デビューの心得 修行時代、わたしを含めた<翻訳家のたまご>たちには知りたいことがありました。
「どうしたら翻訳家になれるのか?」
で、そういう質問をされたプロの方々の答えはだいたい決まっていました。
「わかりません」
わからんって、なに? 教えてくれてもいいじゃん、けち。
くらいのことは、まあ誰でも思ったでしょう。
わたしも思ってました。
が、いざ、自分がデビューしてみると、たしかにデビューの方法ってわからないものなのでした。
というのも、翻訳でお金がもらえるようになったきっかけというのを、先輩や仲間たちにきいてみても、ひとりひとり道が違うので、これという王道がないのです。
翻訳関係の専門誌によくデビューの体験談がのっていますが、<友人に誘われて>というかなりたなぼたなケースから、<翻訳なんとか賞を受賞して>という超狭き門を突破してのケースまで、千差万別ですね。
ただ、わたしが思ったのはデビューできた人には共通点があるということでした。
それは、めだとうと努力してきたことです。
翻訳学校に通っているなら、プロ翻訳家の授業に積極的に参加してめだつ。
下訳なりリーディングなり何か仕事をもらえたら、自分はこんなに翻訳をしたいと思っているんだとアピールしてめだつ。
出版社に持ち込み、売り込みを続けてめだつ。
翻訳関係の賞に応募して、優秀な成績をおさめることでめだつ。
おわかりでしょうか。
ルートは関係ないんです。とにかく、翻訳者として使ってくれる人の眼にとまることが、デビューの第一条件なんです。
実力の有無とデビューは切り離して考えて下さい。もちろん、力がなければ話になりませんが、実力がつけば黙っていてもどこかから仕事がもらえると漠然と考えているだけでは、厳しいです。
受験勉強で実力さえつけば、受験しなくても合格できるでしょうか?
例えて言えば、そういうことなのです。わたしの場合 翻訳家になりたいという動機は大雑把にわけてふたつあるように思います。
ひとつは英語を生かした職業につきたいという願望。
ひとつは本が好きだから、本に関係した仕事をしたいという願望。
前者の場合は通訳や実務翻訳といった仕事もあるなかで、文芸翻訳を選んだ。
後者の場合は小説家や編集者といった道もあるけれども、文芸翻訳を選んだ。
ということになるでしょうか。
わたしは後者でした。
昔から本好きで、特にエラリー・クイーン、チェスタトン、アシモフが大好きでしたから、東京創元社は憧れでした。その会社でリーディングスタッフを募集している。しかも審査員はあの戸川カリスマ編集長。
募集広告を見たわたしは夢のような気持ちで応募しました。幸いトライアルに合格して、面接を受けに行った時には、わーい、戸川さんにサインもらいたいー、とか、わーい、ここがそーげんだー、とか、ひたすらミーハーに舞い上がってました。
それから東京創元社で5年ほどリーディングの仕事を続けましたが、「そろそろ訳してみませんか」という声はまったくかかりません。
いかん。このままではムダにトシをとるだけだ。
翻訳学校に5年通い、出版社で定期的にリーディングの仕事を5年続けていたのに、仕事は降ってこなかった。
その時、決心しました。
どうせ今の生活を続けていても、5年後も同じ状態だろう。それなら、自分から仕事を獲得する努力をするだけしてみよう。じたばたするだけして、それでも駄目だったら諦められる。
そう考えたわたしは、まず初心を取り戻すために、別の翻訳学校に<転校>しました。まったく馴染みのない環境に移ることで、気持ちの甘えを捨てようとしたのです。
<転校>先の学費が前の学校より安かったので、差額を持ち込みの軍資金に振り当てました。おもしろそうな原書をかたっぱしから買って、あいた時間に読んでレジュメを作り、リーディングの仕事で東京創元社に行った時に、それを一緒に持っていきました。
1年間。
その熱意が買われたのか、はたまた同情されたのか、持ち込んだ訳文を編集者さんはトライアルとして読んで、そして言ってくれたのです。
「これじゃなくて別の本ですけど。訳してみませんか」
友人の場合そのころ、まだ翻訳学校に通っていたわたしは、教室の外でうろうろしている友人を見つけました。わたしよりも前から学校に通っていて、クラスでも一、二を争う優秀な人でしたが、本格的なデビューはまだでした。
彼女は某作家の本をなかばまで訳して、出版社に持ちこもうとしているところで、先生に相談しようと、授業が終わるのを教室の前で待っていたのでした。
「へー、その作家の本を?」
たまたま立ち話で事情を知ったわたしは、作家の名前を聞いてひらめきました。
「あのさー、わたしの知ってる編集さんがその作家を好きなんだけど、持ちこみさせてもらえるか、聞いてみようか」
「えー、そうしてもらえる?」
わたしたちはその場ですぐ、編集部に電話をかけました。
「こんにちはー、某さん。こういう本を半分まで訳したって人がいるんですけどー」
「あ、それ興味あります」
その会話があって一年後、いや、二年後か? めでたく彼女は本格的なデビューを果たしました。
この話を<立ち話でたなぼたデビュー>だと思ってはいけません。
努力して、努力して、やっとみのった結果なのです。
わたしが編集さんにその友人を紹介できたのは、勉強熱心な彼女が非常に優秀な翻訳家のたまごであると自信を持って言えたから。
さらに彼女が出版社に売りこめるだけの魅力的な作品を選び、すぐに持ちこみできるように、前半を訳していたからです。
そして、持ちこみをしたいという熱意を立ち話にしろ、周囲の人にアピールしていたからこそ、作品を本にしてくれそうな編集者さんに接触できたと言えるでしょう。
実力の有無とデビューのきっかけに直接の関係は、残念ながらほとんどありませんが、それでも、実力はいざ売りこむ時の最大の武器になります。使わなければ宝の持ち腐れ。
自分にはもう持ちこみするだけの資格がある、と思う方。
もしくは先生や先輩に持ちこみをすすめられた方。
行動しましょう!仕事を続ける わたしが翻訳の勉強を始めたころは、とにかくデビューさえすれば、それが呼び水になって、あとは黙っててもどんどん仕事がくるものだと、聞かされたものですが、それはー、それはー、それはー、あんまりないことだぞ。
もちろん、そういう人もたまには、います。
しかし、いざプロになってみると、実は仕事を続けていくのも、デビューすることと同じくらい、たいへんなのでした。
幸い、わたしはデビューしてすぐに何冊か続けて訳すことができましたが、それは単にひとりの作家のひとつのシリーズをやっただけで、仕事を頼まれた回数は一回だけです。その後、また別の作家をシリーズでもたされたので、これでしばらくは仕事を続けられる、と安心しましたが、ぼんやりもしていられません。
いつシリーズが打ち切りになるかわからないし、仮に全部やれたとしても、次の仕事が来るという保証はありません。
では、どうするか。
リーディングと持ちこみです。
デビューして、編集部をおつきあいができたら、ぜひリーディングの仕事ももらいましょう。気に入った本があれば、訳すことができるかもしれません。
もしリーディングの仕事をもらえなくても、持ちこみはできます。どうしても訳したいという本を見つけたら、ぜひ企画にして持ちこんでみてください。出版社では常に企画を歓迎しています。
一社でことわられてもあきらめないこと。よい作品でも、その出版社のカラーにあわないという理由で企画保留になることはよくあるので、別の出版社なら大歓迎してくれる可能性はあります。
やーだー、持ちこみなんて恥ずかしくてできないー、なんて言っているかた。
東京創元社でリーディングをしていると、ときどき「これは某翻訳家の持ちこみですが」と、原書をわたされます。翻訳家さんの名前を聞くと、「えー、あんな超売れてる大ベテランが持ちこみー!」という人が多くて、けっこうショック。そのかたたちは、仕事がほしくてそうしているわけではなく、自分の好きな本を日本の読者に紹介したい、という動機で持ちこんでいるのです。
プロって、プロってそうなんだー!
と、びびったわたしは今も持ちこみを続けてます。
追記
リーディングとは、原書を読んで、おもしろいか、おもしろくないかをふりわける作業です。この段階で九割の原書が落とされます。残る一割の中から編集者が 、実際に翻訳出版する本を決定します。