英国の小さな村

 ずーっとロンドンだけ、というのもなにかさびしい。というわけで、郊外に出るちょっとした遠足も用意した。
 むかしながらの美しい村が点在するコッツウォルズ地方には、現地のバスツアーを利用すればロンドンから簡単に行ける。これに参加することにした。
 遠足で母には風光明媚なイギリスの田舎の村をぞんぶんに楽しんでもらう。わたしは英国田舎ミステリに出てくるブツをこの眼で確かめることができる。という計画である。
 このもくろみは大当たり。想像していた以上に収穫のある、英国村ミステリ散歩となった

 村に向かって走るバスの窓からは、道路に沿って作られた生け垣が見える。
 日本語の生け垣とはイメージが違い、道にそってすきまなく植えられた細長い林、という感じ。生け垣の中からは自然木もにゅっと顔を出して、ますます林のように見える。
 生け垣は、うさぎなどの小動物にとって、居心地の良いすみかであり、安全な道路でもある。あのピーターラビットもこの生け垣の中に住んでいる。
「でも、このあたりの生け垣はボロボロですね」と、観光バスのガイドさん。よく手入れされていないのだ。
 英国の村ミステリではおなじみの生け垣だが、いまはそうとう数がへったらしい。農業の機械化で生け垣は邪魔な存在になり、放置され、つぶされてきた。
 けれども、これではいかんという声があがり、近年では補修をした農民には補助金が出るようになった。ありがたいことである。
 牧場と道をへだてるこの生け垣や石垣をのりこえるために簡単な踏み台がところどころにしつらえてある。これが踏み越し段(スタイル)だ。
「とにかく越えられりゃいいんだ」と、アバウトに作られているので、踏み越し段はさまざまな形をしている。
 ひとつくらい実物を見られるかな、と期待していたのだが、残念。ぶっとばすバスの車窓からでは、よくわからなかった。

 村に到着して、まず教会に行った。
「海外の教会? そんなの、たくさん見て知ってるよん」と、おっしゃるむきも多いだろうが、よく思い出してほしい。
 それはバチカンですか? ノートルダムですか? ウェストミンスターですか?
 偉そうにこんなことを言っているわたsも、実際に村の教会に足を踏み入れてから気がついたのである。地元密着型の小さな村の教会にはいるのが初めてだということに。
 教会敷地の門から入り口までは、お墓がたくさん建っていた。ラベンダーやバラが植わっていて、風が吹くたび、甘い香りがふわっと漂う。墓地というよりも、明るい庭先だ。
 小道を通り抜けて教会にはいる。村人たちの坐る木の椅子がずらっと並んでいて、名前を刺繍したクッションがその上にのっている。椅子にぶらさがるポケットには、それぞれの聖書がつっこまれている。
 見回して思った。このなつかしい雰囲気はアレだ。小学校の体育館とか、講堂とか、そんな感じ。教会って、村の集会所とか公民館みたいなものなんでしょうか。
 教会の片隅に石造りの洗礼盤を見つけた。ケイト・チャールズの「死のさだめ」に、教会のお祭りで生け花の腕を競うシーンがあり、洗礼盤のうしろに場所を割り当てられたご婦人がひどく憤慨する一幕がある。
 うーん、たしかにこの位置じゃねー。洗礼盤自体が片隅にあるので、そのさらにうしろにおいやられたのでは、すみっこのすみっこもいいところだ。
 洗礼盤の上にはどっしりした木の蓋があった。聖水を盗まれないように、簡単には動かせない重たい蓋をかぶせてあるのだ。

 教会を出て、小さな菓子パン屋にはいった。ショーケースには、菓子パン、お惣菜パイ、マフィンのほかに、切れ目を入れて生クリームを贅沢にはさんだパイや、生クリームがソフトクリームよろしくてんこもりにはみ出たパンや、生クリームをこってり塗ったカップケーキなどが何種類も並んでいた。トッピングにチョコレートやジャムがかかっておいしそう。
 これが村ミステリによく出て来る、例の「クリームケーキ」か!
 イギリスのお茶の時間に出されるクリームケーキとはどういうものか、わたしは長いこと知らなかった。単純に「クリームケーキ」というものがあるのだと思っていた。
 翻訳家の浅羽莢子さんや杉本優さんが「特に<クリームケーキ>という名のケーキがあるわけでなく、生クリームを塗ったりはさんだりした、あまりおしゃれではないケーキやパンで、日持ちがしないもの」と教えてくださったのだが、こうして実物を見て納得。

 村の裏手に「パブリックフットパス(誰でも歩ける散歩道)」というものがあると聞いて、歩いてみることにした。
 賑やかな商店街から1分ほど歩いて、ひょいと木戸を開けると、いきなり緑の牧場が広がり、黒い顔の白い羊がたくさん歩き回っている。えっ、羊ってこんなに普通にそのへんにいるものなの?
 わたしはあまり詳しくないので明言はできないが、日本で牧場というと、たいてい町の中心から離れた場所にあるのではないだろうか。それが、ここの牧場の商店街からの近さ、日常の中にぽんとある自然さはどうだろう。
 さて、村の牧場の中を小川に沿って歩くこのパブリックフットパスも、実はイギリス名物なのである。林望さんの「ホルムヘッドの謎」にパブリックフットパスについてのすばらしいエッセイがおさめられているので、詳しくはこちらをどうぞ。
 眼の前にのびる散歩道は、商店街からちょっと小道にはいっただけなのに、まるで異次元。そのへんからクマのプ−さんがひょっこりあらわれてもおかしくない、まさに絵本の中の世界である。
 ちょろちょろと流れる澄んだ小川の脇を、羊のおとしものを踏まないようにゆっくりゆっくり歩いていく。もう一度、木戸を出て大きな通りに戻ると、そこはまた車がぶんぶん走る現実の世界だった。すごい。たった木戸一枚なのに。
 これはどこに行く近道として作られたわけではない。大通りのA地点から牧場にはいり、ぐるっと迂回して、ふたたび大通りのB地点に出るという、まさにただ草の上を歩くだけ、歩くことを楽しむためだけに作られた散歩道なのだ。
 エリザベス・フェラーズの探偵コンビ、トビ−とジョージがよく「ちょっとそのへんを歩いてくるね」「また散歩かい!」という会話をしているが、パブリックフットパスになじんだイギリスの読者が思い浮かべる<散歩>と、わたしたちの<散歩>との間には、ずれがあるのかもしれない。
 そんなことを思いながら、てくてく歩いたのでした。

翻訳家のひよこ