9月12日

 帰国の日。
 わたしと母は朝からもめていた。
 ロンドンでもパリでも、現金、パスポート、航空チケットなどは、ホテルの金庫にあずけておいたのだが、ホテルのチェックアウト時刻は12時で、旅行会社の迎えがホテルに来るのは夕方の4時だったのだ。
 母は、チェックアウトするんだから、貸し金庫から全部出さなければだめだろうと言う。
 しかし、わたしには自信がなかった。
 貴重品を管理しなくてもいい、というお気楽さに慣れてしまうと、現金だのパスポートだのを携帯して、泥棒だらけの街をうろうろすることが、ひどく恐ろしく思えるのだ。
「きいてみようよ、金庫だけ4時まで貸してもらえるかって」
「だめだと思うけどねえ」
 フロントで確かめると、「いいですよ」とあっさり言われた。ほーら、大丈夫だったじゃん。でも、チェックインの時に、たしかめておけばよかったわ。

 最後の日はルーブル美術館をふらふらすることにしていた。10年前に一度、来たことがあるので、帰国当日のひまつぶし、というなんとも罰当たりなスケジュールになったのだ。
 中にはいると、まずサモトラケのニケに出迎えられる。
「ああー、すてきだわ、ニケ様〜」
 ふらりふらりと絵を見てまわり、モナリザの前に来た。10年前とは展示場所がかわっていた。
 やがて、お手洗いに行こうと、案内板の地図を頼りにトイレを探した。が、地図のマーク付近を何度往復しても見つからない。
「っかしーな」
 絶対、このへんなのに、とぐるぐる回っているうちに、黒い四角のパネルを並べた壁に、ごく小さな黒っぽいプレートを見つけた。そのプレートが貼られたパネルだけ、壁から少し浮いて見える。
 まさか、と押してみると、そのパネルがトイレのドアであった。
「・・」
 凱旋門のチケット売り場といい、なんでもかんでも隠し金庫化するのが、フランスの文化なのだろうか。
 あまりにも目立たないため、ここのトイレには誰もいなかった。わたしたちが発見したあとに、「ここか!」と気づいた人々が集まり出したくらいだ。
 なぜ隠す?

 3時間ほどルーブルを堪能して、外に出た。
 ルーブルの地下は、ガラスの逆さピラミッドが天井からぶらさがる、すてきなショッピングモールだと聞いていたので、そこで時間をつぶせばいい、とふんでいたのだが、いざ行ってみると、東京によくあるショッピングモールとほとんどかわらず、5分であきてしまった。
「地上を歩こう、地上を」わたしはついに言った。「こんなの東京でいくらでも見られる。パリは街がきれいなんだから、思い出に地上を歩き回ったほうがいいよ」
 地図を握りしめ、ルーブルからオペラ座のほうに向かって、大通りを歩き出す。
 方向音痴がそんなことをして大丈夫か? と思われるだろうが、なに、大通りのつきあたりに、オペラ座がどーんと坐っているのが肉眼で確認できるので、迷うほうが難しいのだ。
 地図を握りしめているところが、方向音痴の証拠である。
 ルーブルを出発して5分後。
「あっ!」隣で声がした。
 母はブティックのウィンドウを食い入るように見ていた。
 やばい。なんか、手荷物が増える予感がする。
 吸い込まれるように、母は店にはいっていってしまった。
 ああ〜。

 ジャケットがはいった大袋をぶらさげてオペラ座まで歩いたが、まだ少し時間があったので、近くのデパートに行ってお土産を買い、そこから地下鉄に乗ることにした。
 さすがにわたしも用心深くなり、ギャルリ・ラファイエットの婦人館にははいらず、食品館に直行した。
「あっ!」
 しまったー。
 なんと、この食品館はおいしそうなものだらけだった。テイクアウトのお惣菜は品数豊富だし、サラダなどの野菜もいっぱいだし、その場で食べられるスタンドはいくつもあるし・・
 あんなに、あっちのスーパー、こっちのお惣菜屋を回った苦労はなんだったのだ。
 前回、ここに来た時に食品館にも寄っていれば、おいしいお弁当がよりどりみどりだったのに。
 悔しかったので、フランスバージョンのクノールのスープやポタージュのもとをたくさん買ってしまった。
 もっと悔しいことに、日本で試食したら、あまりおいしくなかった。

 成田には父と妹が迎えに来てくれていた。
 ふたりは、ゲートから次々に出てくる人たちの様子を見ていて、「やっぱりねー、いまどき、海外から買い出ししてきたみたいに、荷物をカートに山盛りつんでくるダサい人はいないんだねー」と話していたらしい。
 山盛りカートを押して現われたわたしと母を見て、妹は大笑いしていた。「なに、そんなに買ってんの」
「るさい! あんたのクマじゃ!」
 現在、そのクマたちは、うちの猫の遊び相手になっています。
 余談ですが、新潮文庫のYondaくんも、よくなぐられています。
 猫ってぬいぐるみが好きなのさ。

翻訳家のひよこ