朝6時半。わたしたちはマイバス社のオフィス前で呆然としていた。
いつもどおり、せっかちな母がうるさいので、早めにホテルを出たら、ツアー集合時間の1時間前についたのだ。
オフィスは7時に開くのだろう。中はまっくらで無人だった。
まくらなのは中だけではなかった。この時期のパリの夜明けは7時だ。
しかたがない。カフェにはいろう。
こんな時間に開いてるカフェがあるんかい、と思うかたもいるだろうが、あったのだ。チュイルリー駅からマイバス社に向かう途中に一件だけ。
ほかほかのでっかいオムレツに、特大のあたたかいクロワッサンふたつに、生オレンジジュースに、紅茶。お値段はまあ、それなりだったけれども(2500円)これがわたしにとっては、念願かなったイベントとなった。
おいしいパンとクロワッサンを食べる、という夢をいだいて、地図いっぱいに評判のお店の印をつけてきたのに、パン屋に行くヒマが全然ない旅になってしまい、ちょっぴり悲しんでいたのだ。それが偶然、ふわふわの焼き立てクロワッサンを食べることになるなんて。
感涙。
いやー、カフェの朝ごはんって、一度体験してみるといいもんです。心からそう思ったのは、泊まっていたホテルで毎日食べていた朝めしが激まずだったから〜。
カフェの中は日本人でみるみるうちにいっぱいになってきた。まちがいなくマイバスツアー難民だ。
相当もうかってるよな、この店。
などと、下世話なことを考えつつ、常に携帯しているビニール袋に、クロワッサンをひとついれた。全部はとても食べられんのだ。多すぎて。
マイバス社の前に引き返すと、まだ開いていないドア付近で呆然と立ち尽くしている一団があった。オペラ座の方向から来たのだろうか。そっちにはカフェがなかったのかもしれない。バスが来て、わたしたちはロワール河の古城巡りに出発した。
ツアーはまずシャンボール城、その後、すてきなホテルでフルコースのランチ、つぎにシュノンソー城に行き、パリに戻る、という、12時間のツアーだった。
バスの中からすでに、デジカメ部隊がさかんに写真をとっているので、「みんなホームページを作るのだろうか」と妙なところで感心する。
シャンボール城につくと、有名な螺旋階段をぐるぐるとのぼらされた。
見どころのスポットをかなり効率良く案内され、見晴らし台から外を眺めて、お土産やさんによって、はい、おしまい。
「ううーむ」たしかに強行軍だからしかたがないけれども、ツアーの見学コースって本当にコンパクトなんだねえ。
あとでパンフレットを見たら、豪華な部屋がたくさんあるのに、見たのは殺風景な廃虚風のところばかりだったわ。
ホテルのランチはおいしかった。このあたりは川魚が名物で、メインは当然、お魚。さっぱりしていて、胃にやさしい。
そういえば、このあたりの名物にうなぎの薫製があるので、見つけたらぜひ買っていってください、とガイドさんにすすめられた。なかなかの珍味だそうです。
でも、そういうお店に寄る時間なんてなかったぞ。パリに帰ればあるのか?
もう一度バスにのって、今度はシュノンソー城へ。
やはりツアー用の超コンパクトコースをたどったあとは、庭に出る。
フランス旅行に興味のあるかたなら御存じだろうが、この城は水の上に回廊がのびていて、写真が大好きな人にとっては、たまらないほど優美な姿の名城だ。
だから、庭園からの眺めだけでも十分に楽しめるといえば楽しめるのだが、たった30分くらいの滞在では、本当に記念撮影だけ、なのだった。
ああ、免許を持っている人がうらやましい。運転さえできたら、自分たちで来られるのにねえ。
そうはいっても、ツアーにはガイドさんがついている、というメリットもある。
ガイドさんに「ほら、あそこにも、あそこにも、月の女神のダイアナの絵や像がありますね。これは、アンリ2世の愛妾ディアーヌ(ダイアナ)なんですよ」などと解説をしてもらえると、やはりツアーもいいもんだ、と思う。
恐かったのは、アンリ2世とカトリーヌ王妃の頭文字を組み合わせたモノグラムが、城のいたるところにつけられているのだが、その中にディアーヌのDが隠されている、というお話。
激怒した王妃様は、アンリ2世の死後、城から愛妾を追い出してしまった。そりゃ、怒るわな。
ところで、城を追われるといえば、実はこのシュンンソー城は、現在も城主が住んでいる、ちゃんとした住宅なんである。
最初、城主は観光客に一部を開放して、城のはじっこに住んでいたのだが、大人気のスポットになって、観光客が押し寄せるようになり、ついに当主サマは庭のすみっこにある庭師の小屋に引っ越してしまった。
小屋といっても、りっぱな家ですが。ところで、わたしは大きな建物をきれいに写す技術がないので、アルバムに写真と並べて貼るためのポストカードをあちこちのギフトショップで、一枚、二枚と買い集めることにしている。
当然、ここでもお買い物をしたのだが、その時、ちょっとしたデジャブを体験した。
むらがる日本人観光客が無言で商品をつきだすと、店員たちが仏頂面で乱暴に商品を袋につめて、投げつけるように返している。
これだ! 10年前にわたしに意地悪をした土産屋のばばーそっくり!
レジに並んだわたくしは、非常に恐かった。
でも、店員のおばさんの眼を見て、にっこり笑い、「ボンジュール、マダム」と挨拶したら、ポストカードたった2枚を丁寧に袋に入れて、「オルボワール」と言ってくれた。
「そうか〜」
挨拶は大切なんである。「こうしてバスツアーでさーっと回ると、とってもラクだけどハプニングがない分、印象がうすいねえ」
そんなことを言わなければよかったのだ。願いは恐ろしい形で成就した。
バスに乗り遅れてはいけない、とシャンボール城の砂利道を走り出したわたしは、石段につまずいて、ばったり倒れた。
「あ、膝をかなりすりむいたな」と、その瞬間に思ったのだが、時間がなかったので、かまわずバスに乗りこんだ。
わりとすぐにバスが動きだし、やっと落ち着いて傷口を見て、これはまずい、と内心あせった。
鍾乳洞もあるこの地方、砂利といっても、石灰岩を砕いたざくざくの尖った石で、まさに石器ナイフのような切れ味を持っていたらしい。
詳しくは書かないが、この時の500円玉大の傷、というか穴は、ふさがるまでに一ヶ月かかった。
帰国後の、親しい編集さんとの会話。
「ころんじゃってー。日本に帰るまで、血がとまんなかったのー」
「病院に言って、縫ってもらったほうがいいんじゃないですか」
「んー、でも、この穴をふさぐには、皮膚移植でもしないと」
だから、自然に肉がもりあがるのを待つしかないのよん、と毎日、せっせとプロポリスをかけていたら、一ヶ月でみごとに皮膚が復活した。おそるべしプロポリス。
いやいやいや、そうじゃなくて。
肝心なのは、うかつに砂利道で走ってはいけない、という教訓である。
玉砂利ではないので、本当に危険です。