9月9日

 パリ発遠足の定番といえば、ヴェルサイユ宮殿半日ツアーだが、10年前に一度、行ったことがあるので、はずすことにした。
 かわりに選んだのはフォンテーヌブロー城。ナポレオンが住んだことで有名な、ヴェルサイユに負けず劣らず豪華という噂の城である。
 日本人専門の観光バス会社、マイバスのツアーに、わたしたちは参加した。
 感動したのは、「バスの床に足がつく!」ことだった。
 みじかーい脚の日本人向けにちゃんとサイズをあわせた仕様になっているところが、まさしく<気配りのすすめ>であろう。
 余談だが、有名なイラストレーター、ひらいたかこさんにこの話をしたら、小さい声で慎ましくこうおっしゃった。
「あの、へんな話ですけど、お手洗いの・・」
 でかい声で、わたしがあとをひきとった。
「便器! アレも高くて困るんですよねー!」
 思わず手を取り合い、パーティーにふさわしい淑女トークでもりあがったのである。
 いやいやいや、そんな話はおいといて。
 朝早く、バスはルーブル美術館のガラスのピラミッド前を抜けて、まずはバルビゾンの村に向かった。
 御存じ、ミレーなどバルビゾン派の画家による作品は、前日、見学したオルセー美術館にたくさん展示されている。
 意図したわけでなく、まったくの偶然でこうなったのだが、社会科見学としてまさしくすばらしい順番になったわけで、おのれのツアコン能力にますます自信を持つわたしだった。
 ミレーのアトリエには、彼の使ったパレットなどが展示されている。奥がショップで、現代の画家さんたちの油絵が売られていた。(ここは現金かVISAカードしか使えない)
 感じのいい村だな、もうちょっといたいな、と思ったが、なんといっても半日バスツアーなので、すぐにバスに乗り込み、フォンテーヌブロー城へ。
 この城は、太陽王が一代で築いた歴史のないヴェルサイユ宮殿と違い、大昔からある城を何代も何代も、時の国王や皇帝がリフォームを繰り返して使ってきたので、さまざまな時代の建築様式が何層も重ねられた、とてもおもしろい城だ。
 たとえば、国王の愛妾の部屋がナポレオンの時代には大階段に改造され、天井や壁はやたら豪華なのに床がぽっかりと階段になっていたり。
 古い時代にイタリア風にフレスコ画が壁や天井に描かれたのを、後世のリフォームでは、フレスコ画の部分を額縁風にかこって、インテリアとして生かしたり。
 豪華度もヴェルサイユにひけをとらない。パリに何度も行くチャンスがあったり、滞在時間にゆとりのあるかたには、超おすすめのスポットです。
 見学が終わるとバスはパリに向かい、ダイアナ妃が事故にあわれたアルマ橋のトンネルを通過して、マイバス社の前で解散になった。
「このあたりには日本食の店が多いですよ」というガイドさんの呪文のような言葉に、思わずみんなでふらふらと<サッポロラーメン>という店にはいってしまった。
 店長さんは日本人。
 店員は全員、中国人だった。
「うーん」日本食か、これ?
 カウンターに坐ると、ラーメンのスープの大鍋が見える。中にぷかぷかと浮かんでいるのは、たぶん梨。
 その時には「なるほど。梨ね」と思っていたのだが、いま考えてみると、フランスに東洋の梨は普通にあるのだろうか。
 みそラーメンのスープはおいしかった。麺は、まあ、あんなもんでしょうかね。

 ホテルには早めに戻った。
 手には途中で買ったネクタイ3本をぶらさげていた。もちろんこれも免税扱いなので、クマといっしょに手持ちということになる。
 ま、せっかく来たんだしね。日本の3分の2の値段だもんね。おとーさんにおこづかいもらったしね。(そのおこづかいの大半が妹のクマに化けていることには、なにか理不尽なものを感じるのだが)
 そう言いつつ、荷物をまとめると、わたしたちは遠足用のラフな服からドレッシーなお洋服に着替えた。
 今夜は奥様をムーランルージュのディナーショーに御案内するのである。
 実は、パリで夜にタクシーをひろうのは、危険だし難しいとおどされたうえ、ムーランルージュのあたりは治安がよくないので、自力でタクシーをひろうのは自殺行為だから、絶対やめろ、と釘をさされていた。
 それで、あちこちの「ムーランルージュ・ツアー」を検討してみた。ツアーならバスで送り迎えしてもらえるので、アシに関する不安はない。
 ところが、そういうツアーの多くは「ムーランルージュの席がとれない場合は、キャバレー・リドになります」とあった。そして、リドになる確率は、まわりを見る限り、8割近いのだ。
 さんざん悩んだ末に、「アシはなんとかなるだろう。個人でチケットをとっていこう」と決心した。
 日本からネットでムーランルージュのいちばん高いディナーを2席申し込んだ。最初は、安いのでもいいや、と思っていたのだが、安いディナーはメインがチキンなので、母が食べられない。
 パリのガイドさんに、帰りのタクシーのひろいかたをきくと「ムーランルージュの制服を着たボーイさんに、相場よりちょっと高いチップ、2ユーロも渡して、タクシーをひろってもらえば間違いない」と教えられた。
 さて、ムーランルージュに着いて、中に案内されると、なんとステージにいちばん近い席だった。ああ、高い席にしてよかった! さいこー!
 ところが、わたしのまうしろの席に伊集院光さんをひとまわり大きくした女が坐った。椅子が持ち上げられている〜、うしろの脚が浮いている〜、苦しい〜。
「たすけてー」
 隣のイギリス人カップルも、それを見て笑いころげていた。「たいへんだねー」と声をかけてくれる。
 食事が始まると、お酒が飲めないわたしたちは、シャンパンのかわりにエビアンをもらった。
 ところが、エビアンのボトルの前に「お飲物はおひとりさまにつき一万円いただきます」という札がおかれたではないか。
 ぼ、ぼったくりバーか、ここは!
 わたしと母はぼそぼそ話し合った。
「ねえ、2万円なんて現金ないよ。カード?」
「まあ、払ってもいいよ。食事つきでショーでこの値段って安いと思ったもの」と母。
 わたしも、まあ、エビアン1本が2万円と考えるとハラはたつけど、もとのチケットが安かったし、席料だと思えば、払ってもしょうがないかな、と諦めたのだが、しかし、この人数分の飲み物代を徴収するのって、すごく時間がかかるんじゃないか? わたしはそっちのほうが心配だった。
 ディナーのあと、ショーの前にお手洗いに行った。ここのおトイレおばさんはマダムという感じの、化粧をばっちりした美人だった。
 小銭を入れる皿からは1ドル札がフリルのようにびらびらとたれさがり、中のコインは1ユーロ玉ばかり。つまりだいたい100円ってこと?
 トイレチップの相場はひとり20セントなのにー。やっぱりぼったくりだ。
 わたしは、前の人に続いて、泣く泣く2ユーロ玉をいれた。
 だけど、あとで落ち着いて考えると、あれはきっと見せ金だった。わたしたちはみごとにひっかかったわけだ。くそー、ハラたつ!
 でも、頭の中がトイレでいっぱいの時って、冷静に考えられないもの。でしょ?
 ショーが始まるまでに、さっき食事をしている間に写真を撮っていたお姉さんが、できあがった写真を売りに来た。わたしたちはことわったのだが、隣のカップルは買っていた。
 記念写真と写真つき紙マッチで3000円。カップルの顔がこわばる。
 まあ、そんなこんなはあったけれども、ショーは実にたのしかった。
 もらったパンフレットには、トップレスの美女軍団の写真がのっていて、うっ、ここはそういうところか? と青くなったのだが、舞台の上で堂々と踊る、ほぼ全裸の美女たちは、まったくいやらしくなく、お人形のようできれいだった。
 むしろ、いやらしかったのは、しっかりとスーツを着込んで、妙に腰を振って踊る男性のダンサーたちだった。
「やだー、ケンヤがいっぱい!」
「賢也もルミちゃんと別れたあと、ここに来ればスターになれたかもしれないのにねえ」
「だめだよ、もうトシだから」
 ショーを堪能したあと、わたしたちは席をたった。誰も飲み物代を払うことなく、どんどん出ていく。
「あ、そうか」
 やっとわかった。実は、このあとにもう一回ショーがおこなわれるのだが、その時は全席がシャンパンドリンクつきのチケットになる。
 このサービスされるシャンパンを、もしもわたしたちのようにエビアンにかえて頼んでも、「シャンパンとエビアンの差額は払い戻しませんよ」という意味で、「お飲物代は一万円」とあったのだ。
「まぎらわしいことすんなよ!」さんざん悪態をついて外に出ようとした時、たいへんなことに気づいた。
 さっき、おトイレおばさんに2ユーロ玉を出したせいで、タクシーをつかまえてもらう用のチップがない。こういう時にかぎって、1ユーロも2ユーロもコインをきらしている。
「どうしよう」
 入り口は2回目のショーの客を案内するので、てんてこまいだった。とても両替してくださいと言える雰囲気ではない。
 しかたがない。バカな日本人がチップの相場をあげると非難されても、背に腹は、いや、命にはかえられない。
 わたしは5ユーロ札を握りしめて、ドアの前に立つボーイさんに、タクシーをひろってほしいと頼んだ。
「いま、2回めのお客さんを入れているところで忙しいから」とあっさり断られた。
 客がきれるまで待とう、とひきさがりかけたその時、彼はわたしの手からはみ出している5ユーロ札を見たのだろう。
「ちょっと待って! 絶対、そこを動かないで、待ってて! タクシー、つかまえてくるから!」と叫ぶや、ペンライトを振り回しながら道路に飛び出していった。
 カネか! 世の中カネか!
 結局、そのボーイさんは10分以上がんばって、やっとこさタクシーをつかまえてくれたので(ということは、やはり素人には無理なのだ)、5ユーロ払っても全然おしくはなかったのだが、お札を受け取って「メルシー、マダム!」と言った彼の笑顔は、ステージで踊っていたどのケンヤよりも輝いていた。
「なんだかなー」
 この日、いちばんの思い出は彼の笑顔です。

翻訳家のひよこ