話は春にさかのぼる。
 松浦さんと東京創元社で打ち合わせをしていると、どこからともなく、がしゃっ、がしゃっという金属音が聞こえてきた。
 なに? このロボコップが歩くような音は?
「戸川さんです」
 膝の調子が悪い、と手術を受けられたそうな。しかし、このあやしすぎる音はいったい・・。サイボーグ手術だろうか。
 なんてことがあってから、はや半年。
 わたしにおこづかいを、もとい、リーディングの仕事をくれていた松浦さんが隠居してしまった。当然、わたしのギャラは激減。
 やばい。やばいぞ、中村。こんなに金づかいが荒い女なのに。
 だが、捨てる鬼あれば、拾う鬼あり。
 戸川さんが、いや、戸川様が、「ヒマでしょ? リーディングしてください」と声をかけてくださったのだ。ああ、ありがたや。
 最初のうちは、「お時間のある時にお願いします」と、かなりてきとーに本を渡されていたので、わたしものんきに、かなりてきとーに間をあけて読んでいたのだが、しかし、サイボーグ戸川様は、まだまだパワーをおさえていたのだった。
 4冊ほどあずかった、とある週の夜、電話がかかってきた。
「4冊のうちの、これを最初に読んでください」
「はーい」
 受話器を置いてから、ふと気がついた。今日はひょっとして、日曜日では?
 これはまるで松浦さんの、あのなつかしいマゾ調教のよう・・と思ったわたしの不安は的中した。
 翌週、3冊が宅急便で届いた。
 さらにその翌週、3冊が宅急便で届いた。
 たしかに中村は美人で有能だが、期待されすぎである。
 戸川様の<地獄荘>の噂を聞いて、あの温厚そうな紳士と鬼のイメージがかさならず、いまいちピンときていなかったわたしだが、「これか! これがあの有名な<地獄荘>のしごきか!」と、眼からなだれのようにウロコが落ちたのだった。
 いま、机の上には戸川蔵書が7冊、積んであります。
 えへ。

隠居

 鮎川賞のパーティーの招待状が届いた。<10月3日。飯田橋のホテルにて>
 わたくしの引越しは10月1 日である。
 行けるだろうか、と思わず不安になったが、当日、重労働と寝不足でへろへろの身体にむち打って、よろよろと会場に向かった。
 受け付けで、「松浦さんが来ていますよ」と教えられる。
 わあーい。松浦さあ〜ん。
 さっそくカメラを向けると、一瞬の差で顔を手で隠された。
 ちっ。またか。野生動物並みに、撮るのがむずかしい被写体だ。
 いつも逃げられるので、わたしが撮った彼の写真は全部、半かけです。
 ところで、ひさびさに会った松浦さんは若返っていた。そっかー。あたしたち翻訳家のおもりに疲れて、若さも生気も垂れ流しに失っていたんだね。
 さて、授賞式が始まると、まずは審査員の紹介で、島田荘司さんが、グリーンカードの取得手続きで欠席というお知らせが。笑いで一気になごむ会場。
 今年は、鮎川賞、短篇賞、評論賞のすべてに受賞者が出たうえに、短篇賞はふたりも受賞するという、にぎやかな年だった。
 授賞式がとどこおりなくすんでパーティータイムになると、わたしは顔見知りを探して、ふらふら歩き始めた。あっ。うさこちゃんだ。
「こんにちは〜。うさこちゃ〜ん」
 うさこちゃんとは、本多正一氏の本名である。氏とはときどき、おてまみを交換しているのだが、そのおたよりにはうさぎのはんこが押されている。
 先日も、うさこちゃんは東京創元社で慶徳さんがわたしに送る宅配便を作っているのを見つけて、伝票に「うさこで〜す」とらくがきしてくれた。嬉しい。
 ちょいとおしゃべりをしてから、わたしはおそばを取りにいった。途中、謎宮会の幽霊会員仲間、大倉崇裕さんを発見。
「『七度狐』おもしろかったよ〜ん」と声をかけたあと、わたしはさっそくそのスジのプロにうったえた。「あのね。こないだ生まれてはじめてガシャポンをやったらね。犬夜叉の弥勒(みろく)ばかり、みっつも連続で出てきたの〜」
「ガシャポンとはそういうものです」とさとされたが、優しい大倉さんは「いま食玩ミステリ−を書いているんですが、そこで食玩やガシャポンについて、いろいろ詳しく説明しています。読むと、だぶりを避けるコツとか、いろいろわかりますよ」
「・・それ、ミステリーなの?」
「ミステリーです」力強く断言される。
 いまから読むのが楽しみです。
 彼と別れてふらふらしていると、また仲良しに声をかけられた。鯨統一郎さんだ。
 なにを隠そう、わたしが『ミステリーズ!』の年間購読を申し込んだのは、鯨さんの『続・邪馬台国はどこですか?』が連載されているからなのだ。
「なにか、もとになった説があるんですか?」ときくと、全部、鯨さんオリジナルの説だとおっしゃる。
 すごいよね〜。わたしは鯨さんの説はほとんど鵜呑みにして、信じてるもん。信憑性ありすぎ。
 その後は、会場内をさまよいながら、持ってきたカメラであちこち適当に撮った。ごったがえしていて、誰か特定の人を狙うことができん。
 まだ現像できていないので誰が、いや、何が移っているのかさえ、謎。
 やがて、それまでにも何度か遭遇していた慶徳さんが、おいしそうなお肉のお皿を持っているのを発見した。なんと彼はお肉を美しく並べ、つけあわせまで彩りよく盛っているではないか。
 まあ。あの子もあれで以外と繊細なのね。
 わたしも同じものを食べよう、とお肉のブースに行くと、プロのシェフがその場で盛り付けていた。なーんだ。
 気がつくと、わたしは慶徳さんと、浅羽莢子さんと、巽昌章さんと、引越しの話しをしていた。
 浅羽お姉さまも今月下旬に引越されるのだそうな。「荷造りがまにあわないかも〜」と泣くお姉さま。
「急いだ方がいいですよ〜」とわたし。「だってね。うちは引越しのおまかせらくらくパックにしたうえに、念には念を入れて、本は全部、自分で箱詰めして、家中であらかじめ120箱作っておいたんですよ。なのに、朝の9時から夜の10時まで家族総動員で手伝って、おまけに引越業者が途中で増援部隊を呼んで、それでやっとその日のうちに、搬出が終わったんですよ」
 余談であるが、翌朝は7時に荷物が新居に届くことになり、わたしたちは5時起きで意識もうろうとしながら、家に荷物を運び入れたのである。その過程で、父のキャッシュカードがどこかに消えたらしい。さらにその翌朝、全員がたたき起こされ、家中を探し、ついにわたしが完全に寝起きの声で銀行に電話をかけて、カードをとめてもらう、というおまけまでついた。
「それでね、うちの荷物が重いって、業者の人たちがずっとぶつぶつ言ってたのよ〜」と、わたしが言うと、巽さんが口を開いた。
「うちも少し前に引越しましたが、帰りぎわに業者が突然ふりむいてひとこと、『本当に、きました』と言い残していきましたよ」
 浅羽お姉さまもおっしゃった。
「何件かに見積もりをとってもらったけど、いちばん安かったところは本棚を見て『げっ!』と言ったから、やめたわ」
 慶徳さんもにこやかに言った。
「うちに見積もりにきた引越業者は、文句は言いませんでしたが、見積もりの用紙をのぞいたら、備考欄に『本ばっかり』と書いてました」
 そうね。基本的に、ここの会場に集まっている人たちの引越しって、業者に対する拷問よね。
 そんな話をしているうちに、パーティーはお開きに。
 浅羽さんと松浦さんといっしょに、飯田橋の駅に向かった。
 当然、わたしもお姉さまも、3人でお茶を飲んでいこうと思っていたのだが、なんと。松浦さんが、会社においてきたものを取りに戻りたい、と言い出した。
 なんでも、仕事のついでに取ってこようと思っていたものだそうな。
「はー!?」
「仕事ってなに!?」
 松浦さん、あと1件、原稿取りが残っていると言う。
「まだ仕事してんの!」
「なにやってんの!」
 とりあえず、駅前のお店でふたりでお茶飲んで待ってるからね、と見送って、わたしと浅羽さんは30分ほど引越しやらなにやらの話をしていた。
 が、ついに閉店となり、追い出される。うーむ。
 困ったわたしたちは、とりあえず会社に電話をかけてみることにした。
 松浦さんは仕事をしていた。

 ・・隠居。なかなかできないねえ。松浦さん。

呪い

 引っ越しの荷物がだいたいかたづいたあたりで、「そうだ。一応、友達には連絡しておかなければ」と思い出し、はがきやらメールやらで、住所変更を伝えた。
 ぞうぞくと戻ってくる返信ほぼ100パーセントに、「風邪をひかないように気をつけてね」と書かれていたのは、どういうことだろうか。
 ある友達なんて、「いまはやりの<越中富山の置き薬>だよ〜ん。風邪ひいたら飲んでね」とクスリを同封してくれていた。
 あたしはそんなに病弱じゃないぞ!
 と言い返すことはできなかった。もう、とっくに風邪をひいていたのだ。うう。みんなよくわかってるわね。
 城に招くのを忘れた、悪い魔法使いの祟りであろうか。風邪っぴきの呪いのかかったわたしにとって、冬はひとより辛い季節なのだが、訳書を出すようになってから、自分にはもうひとつ、冬の呪いがかかっていたことが判明した。
 クリスマスと正月はゲラなおし。
 その呪いは今年もかかりっぱなしだった。
「わざとじゃないんです」と恐縮する慶徳さん。
「いいよ。なんとなく予感はしてたから」すっかり不感症になってしまったわたし。
『半身』のオビの<今冬刊行>をこっそり<来春刊行>にかえたものの、編集長から「次作は絶対に4月に出すように」と厳命がくだったそうな。
 慶徳さんが何度も指を折って数えているのを見ると、本当にぎりぎりらしい。やばいわ。だっていま、わたしの口の中には口内炎がみっつもあるのよ。
「が、がんばろーね」熱でも出して倒れた日には、殺されそうな気がする。しかし、しかし〜。わたしには呪いが〜・・
 ・・そうだ。呪いといえば、もうひとつ思い出した。
 デビュー前、ある短編集を翻訳学校のクラス全員で分担、下訳したことがある。わたしが担当した作品には、おばーさんが大便をもりもり排泄するシーンがあった。
 そこのわたしの訳は大絶賛された。
「ゆきちゃん、最高よ」「そ、そーかなー」一応、ほめられて嬉しいわたし。
「本当ににおってきそうで、すごく臭そうだった」「う、うん」なんとなく嬉しくないわたし。
 最終的にほめ言葉は「ゆきちゃんのうんこ、ものすごく臭そう!」にまで進化した。そーゆー省略はやめろよ。
 それからである。クラスの友人たちに、「プロになったら、うんこ専門の訳者になるべきだよ」とすすめられるようになったのは。あるか、そんなもん!
 ところが。
 ビクトリア時代が舞台の物語を立て続けに2作訳すことになったのはいいが、おまるやトイレや排泄の描写がやたらと出てくるのだ。おまけに監獄はフロにはいらない囚人たちの体臭、口臭、汚物のにおいでいっぱいだし〜。
 呪いか?
 あいつらの呪いなのか、これは?
 ・・という話を慶徳さんにしてあげたら、ソファの上につっぷして、肩をひくつかせていた。あ、泣いてる。
 しばらくして、ようやく声が出るようになった彼は言った。「ほかにほめられたことはないんですか?」
「・・ないねえ」
「全然?」
「・・うん」
 3年間通った翻訳学校の授業でほめられたのはうんこだけ、という事実にいまさら気づいて、ちょっと暗い気持ちになった中村なのでした。