ふたりの鬼編集者のしごきが終わって思った。あたし、要領悪すぎ。
 だいたい、めんどくさそうな調べものはあとまわしにするクセがわたしにはある。
 そして、調べること自体をきれいさっぱり忘れるクセもある。
 老人ホームミステリのほうは、それでも調べ残しは少なかった。ふたつばかり固有名詞を「ま、こんなもんだろ。あとで確認しよう」とほったらかしにしといたが、それは慶徳さんがあっさりネットで見つけて、ゲラにメモしてくれていた。
 問題はビクトリアンもののほうだ。
 主人公の本好きな女性が、手紙や手記にいくつか詩を引用するのだが、英文学の素養が皆無に近いわたしには、さっぱりわからない。
「あとで調べりゃいいんだ、あとで」と、どんどん訳していったツケがいまになって来たわけだ。うう、この忙しい時によけいな調べものを増やした過去の自分をなぐりたい。
 しかしネットは便利だ。引用の全文を検索窓にうちこむと、有名な作品であれば、ほとんどヒットする。
 これはキーツの詩、これは作者不明らしいけどビクトリア時代にあった詩、というのが、画面にばんばん出てきてくれる。
 ほほほ、ちょろい、ちょろい、と順調に調べていったのだが、ある引用文だけがひっかからなかった。わかりませんでした、ですませようと思えばすませられる。
 だが、これの出所にはうっすらと心当たりがあった。主人公が好きだと行っているブラウニング夫人の<オーローラ・リー>という長篇詩。もし、これからの引用だったら・・こういう場合は、アナログな調べ方をするしかない。本を入手して、全文を丁寧に読む。
 というわけで、<オーローラ・リー>を買って、読み始めた。うう、どうしてこう要領が悪いのだ、わたしは。締め切りまであと5日くらいなのに。
 それにしても、詩のくせになぜ280ページもあるのかね。これ全部読んで、引用されてなかったら泣いちゃうよ。
 実はキーツの詩集も買った。書店に届いたものを、わざわざ松浦さんに取ってきてもらったそれは、注釈がついているものの、詩そのものは全部英語で訳文はなく、わたしは泣いた・・自分の馬鹿さかげんに。
 こうして昼はゲラなおし、夜はガラにもなく大真面目な読書、という日々のなか、担当ふたりは非道にもさらにプレッシャーをかけてきた。とっととあとがきを書け、と。
 うう〜。そして、こういう時にかぎって、おなかをこわして寝込む、確定申告の用紙が届く、歯の詰め物がとれる、とつぎつぎ災厄がふりかかる。
 ・・おはらいが必要か?

原始人

 10年前。バイト先の塾の生徒は全員、講師もほとんどが花粉症で、無事だったわたしは原始人呼ばわりされていた。
 10年後のいま。花粉症の症状はまったく出ていない。まさに筋金入りの原始人である。
 だから、しょうがないのだ。パソコンをうまく操縦できなくても。
 前回のこぼれ話を読んだ慶徳さん。普通の若いものなら「ったくこれだから年寄りはしょーがねーな」と舌打ちのひとつもするところだろうが、彼はできた青年である。優しいメールをくれた。

こういうときは、"Aurora Leigh" で検索かけてみるといいのでは。
著作権の切れてる有名作品はたいていどこかで公開されていますから。
そうすると例えば下記に全文があるのが見つかるので、そのページ内でキーワードを検索してみればいいんじゃないでしょうか。
もっとも最初の検索で引っかからなかったということは、Aurora Leigh ではない、ということかもしれませんが、テキストデータが肝心な箇所で綴りを間違えている可能性もあるので、試してみる価値はあるかと。

AURORA LEIGH, A POEM
Elizabeth Barrett Browning
http://digital.library.upenn.edu/women/barrett/aurora/aurora.html

 なるほど。しかし、慶徳さんは、わたしの原始人ぶりをよく知らないのである。わたしはさっそく返信した。

あの〜。ページ内で検索ってどうやるんですか?

 おそらく、並の若い者であれば「取り説を読めよ」と思うだろうが、慶徳さんは本当に親切なのである。もしかすると、わたしに取り扱い説明書を読む能力がないことを見抜いただけかもしれないが。またまた、あたたかいメールをくれた。

ブラウザの「編集」→「検索」で今表示しているページ内の検索ができます。
IEでもNetscapeでも、そのほかのブラウザでも表現が違うだけでたいていついてます。

 さっそく実行して、魔法の箱が画面に現われた時には感動した。
 しかし、検索ということに関して、わたしは本当にへたくそだ。そこで今回、慶徳さんが調べてくれた、ふたつの固有名詞で検索の練習をしてみたが、なぜだ。あらかじめ回答を知っているから、なんとか検索できたという状態なのは。
 まず<ミスター・ホイップル(Mr.Whipple)>を検索してみた。何度も、ああでもない、こうでもない、とやって、ようやく慶徳さんがプリントしてくれた画像ページを見つけた時には、なんと30分以上が経過していた。いったい、どんなどんくささだ。
 次は<カーター(Carter)>という人物名に関係があるらしい、<リトル・レバー・ピルズ(Little Liver Pills)>を検索してみる。
 ・・どうやって見つけたんだろう。というか、どのページを見たんだろう。
 とにかく、どこかに<Carter's Little Liver Pills>(のちにCarter's Little Pillsに改名)という、消化薬というか、お通じの薬に関するページがあるらしいので、みなさんでさがしてください。
 と力つきる中村であった。

無礼者

 わたしの部屋の本棚には、人殺し関係の本や漫画、さらに資料として、監獄、拷問、刑罰、オカルト、毒物などに関する参考文献が豊富にある。
 さぞ殺伐とした部屋だろうと思われそうだが、実は棚にはジェニーちゃんがびっしりと林立して、なかなか華やかだ。
 息抜きは「おのれは一日に何回食うんじゃ!」とどなりながら、猫に食事を6回、おやつを2回、与えること。
 もともと出無精なうえに、スポーツが嫌いなので、ほとんど身体を動かさないが、一応、毎日の運動としてピアノをひいている。
 身体をきたえないせいか、やたらと風邪をひきやすく、1年365日のうち、30日以上はハナをたらしている。
 本が好きで、人形を愛し、猫をかわいがり、ピアノを引く、物静かで病弱な娘。そう、わたしは若草物語のベスのようなお嬢さんなのである。
 そんなわたしがある日、ヴィクトリア時代が舞台の物語『半身』を訳している時に、慶徳さんにぽろりともらしたことがあった。
「いま訳している本に、監獄を慰問するレディーが出てくるんだけどさ。このひとの口調が難しいのよね。監獄の女囚たちの口調はばっちりなんだけど」
 慶徳さんは大きくうなずいた。「なるほど。中村さんは下品なのが得意で、上品なのがだめなんですね」
 なんと感じの悪い青年であろうか。無礼者め。
 だけど、いいもんね。この本の担当は、ちょっとトウは立っているが、好青年の松浦さんだ。彼ならば、ああ彼ならば、そんなことはよも言うまじ。
 そして、ついに公正ゲラが届いた。ひと目見ただけで寝込んでしまいそうになるくらい、添削の鉛筆がびっちりとはいっている。
 赤ペンで校正していくが、ちっとも減らないゲラの山に思わず泣きそうになる。だけど、こんなものを添削した担当さんはもっとたいへんだったはずだ。ごめんねー、松浦さん。
 殊勝な気持ちで、鉛筆で真っ黒なゲラをめくっていったが、奇跡的に一枚だけ、ほとんど手付かずの、やたらきれいな原稿があった。あっ。ここはわたしの訳が上手だったってことね。
 たしかにそのとおりらしかった。松浦さんの落書きがあった。「ここのくだり、妙にうまいのはなぜだ」
 そこは監獄の女囚が婦人看守に向かって「てめー、くそばばー、ぶっ殺してやるー!」とわめいて、大暴れしているシーンだった。
 ・・ねえ、どういうこと? 松浦さんってば。

姫子

<半身>に出てくる神秘的な美少女の名はSelinaという。
 いいねー。いかにも美少女って名前だねー。
 しかし、スペルで見ると、とてもきれいなのに、カタカナにすると「シライナ」になってしまうのだった。うーん。へんな名前。
 同じスペルで、なんか違う読みかたはないのだろうか。フランス語読みとかさ。
 もうちょっと、たとえば<セレナ>とか<シレーヌ>(それはそれでデビルマンのようだが)とか。
 そもそも訳している間、わたしの頭の中でこの人の名前は<瀬里奈>ちゃんだった。
 抜け道をさがして、ファーストネーム辞典をめくってみた。

「シライナ。17世紀から使われるようになった。語源は不明だが、おそらく月の女神<セレーネー>か、天国の意味を持つ<シーリア>が転じたものであろう」

 そうか。そういう神秘的な名前なのか。なら、勝手にかえちゃいかんわな。
 うなずいて、ページをぱらりとめくったら、Sara ( Sarah )という名前が眼にはいった。日本語ではサラ、またはセーラと表記される。
 おお、作者サラ・ウォーターズの名前だ。

「語源は聖書のアブラハムの妻にしてイサクの母の名。もとはサライという名だったが、神によりサラと改名される。意味はプリンセス」

 へー。つまり、日本語だと<サラ><セーラ>は<姫子>ちゃんなのね。
 そして辞典を閉じた瞬間に気づいた。
<リトルプリンセス>の小公女セーラ。
 セーラがいつも「わたしはどんな時でもプリンセス」と自信満々だったのは、ここに根拠があったわけですね。

遺言

 発売前に家に届いた『半身』の帯を見て、腰をぬかしそうになった。
「次作Fingersmith 今冬発売予定」だと?
 しかし、この予告の原因は、わたしの口の軽さにあった。
 かなり長いこと格闘していたFingersmithを訳し終えて、開放的な気分になったわたしは「わあーい、おわったよーう!」とうっかり掲示板に書いた。
 それを松浦さんが見て、「じゃ、冬には出せるな」とオビに書いたのだ。
 そして予告を出した本人は、はればれとした顔で、東京創元社を卒業していった。
「ううーむ」
「ううーむ」
 松浦さん愛用の鞭とともに残された、拷問道具の<抱き石>に書かれた重い遺言を前に、慶徳さんとふたりでうなってしまった。重い。重すぎる。
「これは〜、やっぱり冬に出さなきゃだめなの?」
 だめらしいのだった。
 慶徳さんは制作の人に、「ここに予告がはいってるけど、できるんだよね?」と念を押されたそうな。
 まったくもー。どうしてそこで、びしっと言わんのだ。「できません」と。
「まあ、年内は無理でも、1月で勘弁してもらうとして・・」スケジュールの計算を始める慶徳さん。
「あのさー。冬って2月までが冬だよね」弱気なわたし。
 今度は上下巻確実の本だ。ゲラなおしには、そりゃもうたいへんな時間がかかるに違いない。
 慶徳さんは指を折って何度も数えた。「・・訳者校正は8月か9月になりますね」
「あたし、9月に引越すんだけど」
「あっ、そうか!」
 しかし、何度計算しても、校正は引越しにブチ当たりそうなのだった。
 松浦さんめ。許さん。