モデル

「氷の女王が死んだ」の訳者校正中、ゲラを再読して思った。
老人ホームに住む面々の、キャラの描きわけがいまいちで、どれが誰やらさっぱりわからん。(いや、作者ではなく、ワタシの責任です)
 やはり、ある程度はそれぞれに特徴を持たせて、セリフだけで「ああ、あの人ね」とわかるようにしたほうが、読んでいておもしろいであろう。
 というわけで、あれこれ工夫していたのだが、最後まで決まらなかったのが、双子の老嬢だった。
 いつもペアで行動し、ひとつのセリフを分け合って交互に暗唱するかのように、やたらと息のあった喋りかたをし、なんとなくねっとり、べったりした感じを漂わせている。
 そのへんの雰囲気をセリフに盛りこみたいのだが、うーんと、うーんと、なかなかうまくいかないよう。
 そんなある日。
 ゴージャスなんたら、というテレビ番組を見ていたわたしは、カッと眼を開いて叫んだ。「こ、これだ!」
 画面では叶(かのう)姉妹がにこにこしながら、時折、顔を見合わせて「ね?」と頷きあってきる。
 決まり! あの双子ちゃんのモデルは叶姉妹よ!
 この時、実は訳者校正は最終段階にはいっていたのだが、わたしは双子ちゃんのセリフをすべて「叶姉妹風」になおしてしまった。よしよし。
「氷の女王が死んだ」を読んでくださったかたがた、それどころか、担当の松浦さんも、これを読んで腰を抜かしているかもしれませんが、あのとんでもない双子のモデルはゴージャス美人姉妹だったんです。へへへ。
 さて、本が発売されてしばらくたった頃。
 テレビを見ていたわたしは、またまたカッと眼を開いて叫んだ。「こ、これは!?」
 おかしい。わたしは、たしかに叶姉妹をモデルにしたはずなのに。
 でも、いま眼の前でおばちゃんトークを繰り広げているふたりのほうが、話しかたといい、雰囲気といい、よっぽど、あの双子ちゃんの喋りかたに似ているじゃないの。なぜだー。
 わたしは無意識のうちに、このふたりをモデルにしていたのだろうか。

 おすぎとピーコを。

凶器乱舞

 五月某日。招待状メールが届いた。

★“鉄人を撃つ会”のご案内★

「翻訳界のフレッド・アステア」こと「鷲宮の鉄人」ことダンディ翻訳家小林宏明さんが、このたび、『ミステリーが語る銃の世界 / 小林宏明のGUN講座』(エクスナレッジ)という本を上梓されることになりました。
《通訳・翻訳ジャーナル》で好評を博した連載コラムに大幅な加筆修正を施したものです。ゲラが出てからも、まだ項目を付け足していたという、こだわりの逸品。図版も多く、読み物としても楽しく、版元が原価割れを心配するほど、中身がたっぷりと詰まっています。文芸翻訳者及び予備軍及び周辺好事家には必携の一冊でしょう。
 そこで、この頼もしい銃器レファレンス本の完成を祝い、著者の労苦をねぎらうとともに、次なる企画(チョッパー本、ダンス本、スケコマシ本など)の実現を著者及び版元に迫る会を催したいと思います。
 当日は、鉄人と配下のギャング団数人が所有するモデルガンが披露されるかもしれません。防弾チョッキ着用のうえ(うそ、うそ)、どうか油断なくご集結ください。
 出席ご希望のかたは、発起人宛5月27日までにお申し出ください(生命保険料は自己負担)。

                     発起人 東江 一紀
                         鎌田 三平
                         白石  朗
                         田口 俊樹
                         伏見 威蕃

 ・・なんとも愉快なおじさまたちである。
 ワールドカップ日本戦の前日に、フーリガンもどきの集結するロッポンギ近くで、こんなやばい集まりを(しかもモデルガンを持ち歩いて)大丈夫か、という気もしたのだが、おもしろそうなので、ふらふらと出かけていった。
 パーティーは、小林宏明氏の挨拶で始まった。「あれも書けばよかった、これも入れればよかった、と思うと悶々として、いまだに夜も眠れません」
 なんときまじめな。
 つまり、いずれ続編が出るということですね。それは楽しみでございます。
 次に担当編集者さんの挨拶が。「今日はずいぶん女性がお祝いに出席されてますね、と言ったら、小林さんが」
 ここで慌てて口をふさごうとする小林氏にかまわず、担当さんは大声で続けた。「ぼくがもてるからだよ、とおっしゃいました」
 ぷわーっと赤くなる小林氏。かわいー
 乾杯の音頭をとったのは、発起人の鎌田三平さんだったのだが、ここで初めてお名前をうかがって、愕然とした。
 実は、受け付けをすませてからパーティー開始まで、時間があったので、わたしは小林さん私物のモデルガンで遊んでいたのだが、その展示テーブル脇で「こっちはむこうの警官が持ってる銃」とか「女性持ちのは22口径でね、もっと小さくて軽いやつ。でも10メートル離れたら当たらないし、当たってもたいしたことはない。だけどプロの殺し屋はこれを使う。確実に顔に当てれば、頭蓋骨の中で弾丸がぐるぐる回って、脳をかきまわすから」などと、ありがたい解説をしてくれる優しそうなおじちゃんをつかまえて、馴れ馴れしく、殺伐とした質問をあれこれしていたのである。
 そのおじちゃんが鎌田三平さんだった。ひえー、あたしったら。無知って恐い。
 ところで、皆さんは銃を(精巧なモデルガンでもいいです)手に取ったことがありますか?
 生まれて初めてモデルガンを手に取った感想はただひとこと。「重い!」
 いや、そりゃそーだ。20センチ以上ある、金属の塊なんだから。マグナムなんて30センチ近くある。でかすぎて引き金に指が届きません。
 しかし、銃というものに縁のない日本人にとっては、まったく盲点とも言える感覚に違いない。大きさによるけれど、1〜2キロはあります。しかもこれ、弾丸がはいっていない状態の重量なので、なまりだまをびっちり詰めこんだら、もっと重たいはず。
 二挺拳銃なんて、右に広辞苑、左に大辞林を持つようなものだ。(リーダーズとプラスでも可)。水平を保つだけでもたいへんです。
 ハードボイルドの探偵が銃でなぐられただけで気絶する理由がよくわかったぞ。(わたしは「ふっ。惰弱な」と思っていた)。これはりっぱな鈍器だわ。
 乾杯のあとは、ご歓談もそこそこに、わたしはひたすら食べまくった。(下戸だから)
 椅子に坐ってがっつくわたしをぱちぱちと撮る、カメラマン伏見威蕃氏。
 ジョン・レノンをめざしているのか、髪を伸ばしているミュージシャン田口師匠。
 猫好き高橋恭美子さんは、林啓恵さんにタビーの子猫ちゃんを養女に出したそうな。わたしは、ふむふむと話を聞いていたが、どうもおかしい。「黒くてね、白い足袋をはいた・・」
 トラ猫(タビー)じゃなくて、足袋ーかい!
 そうこうするうち二時間がたち、お開きになると、出口で一冊ずつ、小林さんのご著書が配られ始めた。わーい。おみやだ。おみやだ。
 皆さんは本を受け取るとそのまま外に行ってしまったが、ふっふっふ、甘いわ。せっかくここに著者がいるのよ。
 わたしは会場にとってかえし「サインしてくださーい」と小林氏にねだった。
 ところが。
 遊び紙が真っ黒なうえ、いきなりまえがきにはいってしまうという、どこにサインすればいいんだ、という作りの本なのだった。
 ううっ、甘かったわ。金か銀のマーカーを持ってくればよかった! (ちなみに、金銀マーカーは東京創元社の単行本のサインに便利)
 とりあえず、まえがきのページにサインをしていただいた。
 ふりかえると、なんと長蛇の列が出来ていて、いつしかここはサイン会場に。
 てゆーかさ。もともと、このパーティーの主旨は、出版祝賀会なんだから、ここにきて初めてそれっぽくなったのでは。
 かくして、最後の最後に小林さんを忙しく働かせるきっかけを作った張本人のわたしは、「はー、立食は疲れるわー」と、さっさと家に帰って寝たのでした。えへ。

まずい

「ああ、本の題名が思い出せない」眼の前で慶徳さんが言った。「もうトシだろうか」
 あたしよりずっと年下なのに、とんでもないやつだ。
 美しさではかなわないからって、イヤミったらしく若さを自慢してるのね。きー、くやしいっ!
 ふん、ふーん。でも、あたしはそんなにぼけてないもんね。
 と思っていたのだが、自覚症状がないほど、わたしのボケは進行していた。
 先日、戻ってきたゲラの最初の単語に、いきなり慶徳さんのチェックがはいっていた。
<木曜日です>
 わたしはその単語を<火曜日>と書いていた。おいおいおい。
 TuesdayとThursdayは、中一レベルの英単語だろー。
 代名詞を取り違えたことであとの文が狂ってきてしまったとか、一生懸命に解釈してそれでも間違えたというのは、さほど恥ずかしくはないが、こういう単なる見間違いは、かなり、めちゃくちゃ、死ぬほどみっともなく、恥ずかしい。
 以後、絶対に気をつけなければ、と肝に銘じつつ、もう慶徳さんには(なんかくやしいから)こういうアホをさらすまねは、金輪際するまいぞ、と握りこぶしに誓ったのだが、わたしのボケはさらにとんでもないところまで進行していた。
 編集部から電話がきた。
「あのー、中村さんの原稿では<15日>とあるんですが」
「はいな」
「<フィフス>なんです」
 fifth。
「5th〜!?」
 なぜに<5日>が<15日>に変化したのか、全然わからない。
 というより、覚えていない。
 たて続けに慶徳さんに大バカなところを見られて、しばらく落ちこんでいたわたしだが(なんかくやしいから)、まあ、何百ページも訳していれば、ふっと緊張が途切れた時にミスもするさ、と自分を慰めることにした。
 でも、冒頭の、いちばん最初の、出だしの単語を見間違えたっていうのは、いったい・・
 まずい。
 非常にまずい。


感謝

 ある日、松浦さんに宣告された。
「年末ごろに校正をお願いします」
 ちっ。またか。普段はヒマなのに、なぜ、いっつも正月付近にしめきり仕事が来るんだ。
 まあ、その時はにっこり笑って「へーい」と返事をしたのだが、しばらくして、今度は慶徳さんから明るい声で電話がかかってきた。
「12月に校正をお願いしたいのですが、年末になるかもしれませんので」
「はー!?」
 中村さんのマゾ調教も、いよいよ佳境にはいったらしい。
 まさか編集部ナンバー1、2のムチ使いに同時にしごかれるとは思わなかった。
「あのー、松浦さんも年末に校正って・・」
「それは適当にずらしますので」
「ずらすっつっても、連続じゃん」
「はい」
 はい、じゃないだろ。
 頭の中でこれからのスケジュールをシミュレートしてみた。
 まず慶徳さんの、アメリカン老人ホームコメディの校正。
 続いて松浦さんの、19世紀ロンドン監獄ものの校正。
 それから、ふたりがかわりばんこに、電話、メール、ファックス、飛脚もろもろで、再おなおし、再々おなおしの打ち合わせの連絡を入れてくる。
 うわーん。絶対、混乱するー。
 黙るわたしに、慶徳さんはいっそう明るい声で言った。
「大丈夫です。中村さんのホームページに<担当にいぢめられた>とか、書かれないようにしますから」
「・・そ、そう」
 連続して校正となると、いちばん問題なのは健康だ。
 わたしは冬になると、義理堅くも必ず律儀に、インフルエンザと風邪の両方にかかることになっている。
 まずい。まずいぞ。
 しばらくして、ふたりから業務連絡がはいった。
「ゲラが出てくるのは、どうせ年末ぎりぎりなので、年が明けてからにしましょう」
 あれえ。でも、ひょっとして、「あのー、その分、あとの日程がタイトになるのでは」
「はい」
 はい、じゃないだろ。
 しかし、困った。
 これはもう絶対に、風邪なんてひいてられないではないか。
 というわけで、それからは、寝る前にビタミン剤を飲んでお祈りし、起きるとすぐイソジンでうがいをし、やばいと思ったらプロポリスをのどに吹きかけ、加湿器で風邪のバイキンちゃんを殺しまくる、という生活にきりかえた。
 ちっ。めんどくせー。
 ところが、この冬はなんと、お正月まで一度も風邪をひいていない。
 そうか、そうだったのか!
 このスケジュールはマゾ調教ではなく、あたしの健康管理のためだったのね。
 性格悪いとか、根性曲がってるとか思って、悪かったわ。
 ありがとう! 暗黒ムチ使い、約2名。