あいどる

「慶徳さんって、どの人ですか?」と、ある日、編集部に来たお客さまが言ったそうな。「中村さんのホームページで、よくネタになっているので、どんな人なのかと、ずっと思ってたんですよ」
 いつのまにか、彼は人気者になっているらしい。よかった、よかった。
 それはさておいて。
 先日、東京創元社に行ったところ、エレベーターの前で、編集部の桂島さんとばったり会った。
 彼は、初めて会ったころはまだ学生さんで、いまだに桂島くん、と呼ぶのがぴったりな、お肌ぴちぴちの、ずっとずっと年下の新人さんなのだが、わたしが生まれる前のミステリの歴史を、リアルタイムでなぞってきたとしか思えない、膨大な知識をたくわえていて、頭脳年齢はあの戸川さんと同い年という、なんともおそるべき青年なのだ。
 まさにボーン・トゥ・ビー・<ザ・ミステリ編集者>。
 わたしはひそかに、東京創元社の天才、えなりかずきと呼んでいるのだが、怒られるかもしれないから黙っていよう。
 その桂島さんと「わー、ひさしぶりー」などと話しているうちに、ふと、彼が言い出した。
「中村さんのホームページでは、慶徳さんのエッセイがいちばんおもしろいですね。筆がイキイキしてますよ」
「そうねー、いじりやすいキャラだからー」堂々と失礼なことを言うわたし。
「どうですか。今度、<創元推理>の雑誌に<中村さんと慶徳くん>というエッセイを連載するのは」
「‥‥」
 そんな、慶徳さんの実家でしか喜ばれないようなエッセイを連載してどーする。いやいや、喜ばれるならまだしも、心配されたら、もっとどーする。
「いえ、冗談ですけど。でも、もしその気がおありでしたら、企画を出してみますが」
「う、うーん」
 いいのかなー。そんなことしたら、全国から慶徳さんファンがツアー組んで、編集部に押しかけてくるんじゃないかなー。
「あの有名な慶徳さんって、どの人ですか」って。

地獄荘別荘

 先日、仕事で東京創元社に行ったら、応接室がすべてふさがり、会議室も使用中、というお客さまラッシュにぶちあたってしまった。
「しょうがない。社長室を使いましょう」
 なるほど。社長室の応接セットを使わせていただく、ということね。松浦さんのあとに続いて、いざ不法侵入!
 社長室のドアをあけて最初に見えたソファには、あの「貼雑年譜(はりまぜねんぷ)」様が、どーんと坐っていた。さすがだ。30万円の本を無造作に投げ出しておくところに、王者の風格が漂う。
 あわてて本をどかして、人間の坐るスペースを確保する松浦さん。
 おそるおそるソファに腰をおろし、ふとテーブルの上を見ると、いかにも貴重そうな探偵小説全集が10冊ほどつみあがって、あぶなっかしく揺れているのだった。その隣には、もっと適当に重ねられた「幻影城」の山が。壁は本棚でびっしり埋まり、足もとに眼をやれば、「昭和35年」とか書かれた書類の束がいくつもつまれている。
 うわー、宝の山だあー。
「あのー、ここって戸川さんの部屋なの?」打ち合わせを終えて立ち上がったわたしは、あたりを見回しながら言った。
「そうですよ」
 床も壁も貴重な本、雑誌でできている室内を、口をあけてながめているわたしに、「これでもだいぶかたづいたんです」ほら、社長の机が見えるでしょう、こないだまでは、本のバリケードに囲まれて、あの机が見えなかったんですから、と松浦さんは力説する。
「ははあ」
 本棚の上には、こまこましたものが林立していた。遠くてよく見えないけど、ひょっとして、あの大きさはチョコエッグのアレでは。そういえば某編集さんが「<百鬼夜行>のおまけ人形の実物って、社長室で初めて見ました」とか言ってたっけ。
 ここは社長室というよりも、本好きな男の子の遊び部屋兼勉強部屋という感じですね。ああ、デジカメを持ってくればよかった。
 ところで、東京創元社の玄関わきの植えこみに、ちっちゃい恐竜だか怪獣だかのお人形が、数年前から住みついているのですが、あれもひょっとすると、戸川さんのおもちゃなんでしょうか。

世界一

 数年前のある日。担当さんから電話がかかってきた。
「いま校正中のゲラなんですが。たいへんなミステリ上のあなを発見しました」
「なに、なに?」
「犯人がA地点からB地点に移動する間に、凶器をX地点に捨てますね」
「うん」
「A地点とB地点の間に、X地点はありません」
「・・」
 頭の中で地図を描いてみる・・ほんとだ。おのれ、作者め。と、むこうの編集者め。
 結局、X地点とは限定せずに、「凶器を某敷地内に捨てた」と微妙に修正した。いやー、あぶなかったわ。
 という話を某社の編集さんにしたら、「そんなのよくあることですよ。修正できたんなら、いいじゃないですか」と言われた。「昔やった作品では、<金曜の朝だった>という表現が作者のお気に入りらしくて、落ち着いて勘定してみると、一週間に3回くらい金曜がきてましたからね」
 そーれーはー。「なおせたの?」
「無理でした」まー、アリバイものでもなく、本筋に関係なかったのが、不幸中の幸いでした。・・だそうだ。
 しかし、そのくらい作者のほうで、なぜ気づかないのか。
 またまた、とある編集者がしてくれた話。
「探偵が<この凶器を使った可能性はない>と初動捜査で断言したくせに、後半で突然、<そういえば、この凶器を使った可能性を考えてみなければ>と言い出した時には、どうしようかと思いました」
 わたしなら作者を殺そうと思う。「で?」
「しょうがないから、初動捜査のセリフをぼかしましたよ」
 そういえば田口俊樹師匠も、「どうもおかしいと思って、ブロックに<ここ間違いじゃないの>ってきいたらさー、<はっはっは、よく気がついたね>って言われたよ。いーかげんなんだ、あいつは」と笑っていた。
 日本で訳されている海外ミステリは、正確さという点で、原作以上の世界一に違いない。

試食

 翻訳ものを読んでいると、たまに「フィグニュートン」なるお菓子が出てくる。
 辞書をひくと、「いちじくのジャムをはさんだクッキーの一種」と説明されているが、これだけではいまいちわからないのだった。
 お菓子のランクとして、高級なのか、庶民的なものなのか。いちじくのジャムというところで、わりとしゃれた感じはしますね。
 今回、訳していてこのお菓子が出てきたので、どうにかして確かめたいと思ったのだが、どこにも売っていない。
 そしてまた、「Triskit」なる、ビスケットかクラッカーのようなお菓子も出てきた。雰囲気としてはナビスコのクラッカーのようなものらしいが、いかんせん、まったくわからない。
 さらに 「Shake and Bake」という料理も謎だった。「袋にベーキングパウダーや粉を入れて、そこに肉を入れて振ったものを焼く」とあるけど、どんな味なの?
 ということを、当時アメリカ在住の優しいお兄様(たぶん)、Y.Kさんにきいてみた(現在は帰国なさっています)。
 すると、「全部、そのへんのスーパーで手にはいるから、送ってあげましょう」というメールが返ってきたではありませんか。なんていい人なのかしら。
 一週間たらずで、アメリカからお楽しみ箱が届いた。
 どれどれ。
 まずフィグニュートンをば試食。
「・・」おいしくなー。
 しっとり、というより、べちょっとしたソフトクッキーの中にフルーツジャムがはいっていて、全体的に甘ったるいものです。日本に輸入されていないわけがわかったぞ。
 画像でわかるとおり、高級感とはほど遠いお菓子なのだった。そうかー。わたしはまた、洋菓子屋さんのウィンドウに並ぶようなものかと思ってた。違うのね。
 そしてTriskit。
「・・」おいしくなー。
 ふすまビスケットの、すごくまずいやつですね。単体では食べられない。ナビスコ製品なのに、日本で流行らないわけがわかったぞ。
 日本でクラコットという似たクラッカーがありますが、あれよりはるかにまずいです。
 最後にShake and Bakeを試食。
 これはビニール袋にShake and Bakeの粉を入れ、小さめに切ったチキンや豚の肉を入れて、振って粉をまぶし、オーブンに入れて焼くだけ、という簡単料理。
 それぞれの家庭でオリジナルレシピがあるようだけれども、ちゃんとShake and Bakeミックスが売られているのだった。
 食べてみると、「これは・・」見た目も味も、マクドナルドのチキンナゲットそっくり!
 というわけで、最後のこれだけは家族にもなかなか好評だったのでした。

画像提供はY.Kさんです。おありがとうございまする〜。


 おまけ。
 今回、老人ホームでおじいさんが歌っているむかしの歌がわからず、Y.Kさんに協力をお願いしました。Kさんの御年配の知人のかたから詳しい説明のメールをいただきました。
 Kさんがそのメールを転送してくださいました。
 以下に引用しますので、豆知識としてお読み下さい。(ただし、全部英語)

袋に、チキンやビーフなどの肉を入れ、ベーキング・パウダーを
加えて振り回し (shake)、粉をまぶしてから焼く (bake) という
手軽な料理だそうです。多分70年代の発明ではないか、と言っ
ている人もいました。簡単な料理法なので、転じて「手軽な製品」
という意味で使われることもあるそうです。(簡単なコンピュー
タ・プログラムとか。)

では、UCLA名誉教授からのメールを転送致します。
Bill は、私がこちらに来るに当たってお世話になった、
当時の言語学科長 の旦那さんで、お年を尋ねたことはありませんが、
メールの中で、1930年代に子供だった、と述べておられることから
推測すれば、60代後半から70代であろうと思われます。

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dear k sensei; all these references are to songs that were familiar to
me when i was a child in the 1930s, and i'm sure that some of them go back
farther than that. i give below what information i can recall. i'm sure
that if you or your friend in japan want to spend a lot of time surfing the
internet, you can find more information.

>"Hut Sut Ralson on the Rillerah"

this was a hit song in the 1930s, and was part of a fad for songs with
nonsensical lyrics. it was supposed to be a take-off on a SWEDISH song.
what i remember of the words are:

(Refrain) :Hut Sut Ralson on the Rillerah
and a brawlit brawlit soo-it: (repeat)

Well the Ralson is a Swedish town,
the Rillerah is a stream,
the brawlit is a boy and girl,
the Hut Sut is their dream. (repeat refrain)

>"Buckle Down,Winsock"

This should be "Buckle Down, Winsockie." it was a song featured in the
movie *the three ages*, the first feature film starring the famous comedian
Buster Keaton*, in 1923. it was a parody of a football "fight song", i.e.
something sung by university students to encourage their football team.
"winsockie" is the name of a fictitious university; it is meant to sound
like the many placenames in the eastern US which are derived from
algonquian indian languages. i don't know any of the lyrics.

>"As I walked out in the streets of Laredo
>I saw a cowpuncher all dressed in white linen"

these are the first lines of a famous folk song, usually called "the
streets of laredo"; probably many folk music fans can still sing it. the
lines i remember are:

As i walked out in the streets of Laredo [a city in Texas],
as i walked out in Laredo one day,
I met a poor cowboy all wrapped in white linen [for a burial],
all wrapped in white linen as cold as the clay.

'I see by your outfit that you are a cowboy,'
I heard him exclaim as i slowly walked by,
'Come sit down beside me and hear my sad story,
I'm shot in the breast and i know i must die.

'It was once in the saddle i used to go dashing,
it was once in the saddle i used to go gay,
first down to Rosie's [a whorehouse] and then to the cardhouse,
but i'm shot in the breast and i'm dying today.

'Oh beat the drum slowly and play the pipe lowly,
and play the death march as they bear me along,
strew bunches of roses all over my coffin
so that they won't smell me as they carry me along.'

>"A Spanish cavalier stood in his retreat,
>and on his guitar played a tune,"

That's a very old popular song, usually called "A Spanish cavalier." I
could sing the tune for you, but i can't remember any more of the words.

>"Oh I will take you home Kathleen
>Across the ocean wild and wide"

This was a sentimental Irish ballad, probably dating back to the 19th
century. It is supposedly sung by an Irish-American immigrant to his
homesick bride. The only other words i remember are:

Yes, I will take you back, Kathleen,
to where your heart will feel no pain,
and when the fields are fresh and green,
i'll take you to your home again.

>"-and far,far away,her warrior gay,had fallen in the fray.
>Oh,the moon shines tonight on pretty Red Wing-"

This was called "Red Wing", and was another sentimental song of the 19th
century, about a fictitious American Indian girl who lover went off to
battle and was killed. my father could sing all the words, but i've
forgotten most of them. It begins,

There once was an Indian maid,
a shy little prairie maid ...

and the refrain, sung at the end of each verse, says,

Oh, the moon shines tonight on pretty Red Wing,
the breezes sighing, the night birds crying,
oh, the moon shines tonight on pretty Red Wing,
but Red Wing's weeping her heart away.

This song was so popular that many parodies of it were written, including a
labor union song, "The Union Maid," which may still be sung by some
militants in the labor movement.

>"Oh Genevieve, sweet Genevieve
>The days may come,the days may go
>But still the hands of memory weave
>The blissful dreams of long ago"

Ah yes, "Sweet Genevieve", another sentimental song of the 19th century. i
know the melody, but i can't remember any more of the words.

you have given me "a trip down memory lane"! all best; bill

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最初の歌など、スウェーデンの歌の物まねで、30年代に流行
ったということですから、かなり年配の人しか知らなくて当然
でしょうし、ソーヤーもそれを意識して使っているのだとは
思いますが、若い読者には意味不明でしょうね。ただ、日本の
歌の場合も、知らなくても時代の雰囲気だけは伝わってくるこ
とも多いですから、それでいいと判断しているのでしょうか。

2番目の歌が、バスター・キートンの映画に出てくるというの
も意外でした。日本で言えば早慶戦の応援歌のパロディといっ
たところでしょうか。

3番目の "The Street of Laredo" は、この中で最も良く知られ
ている歌のようですね。私が一番初めに聞いてみた大学院生も
これだけは見覚えがあるようなことを言っていましたし、ビル
はすっかり歌詞を憶えているようです。けっこう悲しい歌なん
ですね。"all dressed in white linen" が、屍衣だとは思いま
せんでした。

5番目の歌("I'll Take You Home Again, Kathleen"というタイ
トルではないかとロッド先生が言っていましたが)も、続きの
歌詞を読むと、故郷アイルランドの緑の沃野を恋しがる花嫁さん
を慰めようとする男の気持ちがよく表れているように思います。
アメリカ西部の風土は、アイルランドとは全く異なる荒々しい
感じでしょうし、19世紀には距離は絶望的に遠かったのでしょ
うし。

"Red Wing" も相当有名な歌だったようですね。しかし、この辺り
になると、異文化の中でも辺境の域にある感じです。異国の遠い
昔の歌となると、空間・時間の両面で調べるのは難しいですね。
やはりネイティヴの年配者に尋ねるのが一番でしょうか。

ビルはすっかり昔を懐かしんだようです。彼の情報はかなり豊か
で、歌について大いに参考になるのでは、と思っています。^^)

では、また。

 Y.Kより

ありがとうございましたー!!