雑草

 本を読んでいて、これは職業病なのだろうか、くだらないことで、えんえん悩んだりする。
 アメリカのコージーミステリによく出てくるのだが、毎度毎度、気になってしょうがない表現があった。わたしは読まないから知らないけれど、たぶんハーレクインには死ぬほど出てくるんじゃないでしょうか。
 たとえば、主人公の主婦探偵のもとに、ハンサムな刑事がふらりと訪れる。(よくあるパターンですね)その時、主婦探偵は思う。「あっ、わたし、脚を剃ってなかったわ!」
 この「脚を剃る」という表現が、わたしにはずーっと気になっていた。原文はたしかにそうなっているのだが、はて、日本語ではそう言うかな、と考えてしまうのだ。
 うーん、ふつうは「ムダ毛のおていれ」かな。でも「ムダ毛」というのは脚の毛とはかぎらないから、好きな男性と会っていきなり「ムダ毛のおていれを忘れた!」と思うのは、ちょっと期待しすぎではないだろうか。じゃあ、「脚のおていれ」かしら。でも、これも漠然としすぎだ。ひざやかかとのおていれととれなくもない。
 しょうがない。ちょっともたもたするけど、「脚のムダ毛のおていれ」にしよう。文脈で「ムダ毛」ははぶけるかもしれないしね。いつか、わたしの訳している本で、ヒロインが「脚を剃ってない」と慌てる時には、こう言わせればいいや。
 と、一週間以上悩んだあげくに結論を出した、まさにその翌日。
 偶然、買った旅行エッセイ集に、「リゾートには世界中から中国系の女性が集まってくるが、アメリカから来ているチャイニーズは、アメリカ女性のIDともいえる、つるつるに剃りあげたナマ足をさらしているので、すぐに見分けがつく」とあった。がーん。
 いかに「脚を剃る」という表現が、大和撫子の眼に野蛮にうつろうとも、アメリカ女性の頭の中には、「歯を磨く」「顔を洗う」という感覚で、「脚を剃る」という言葉があるわけだ。そういえば、昔、よく買っていたアメリカの化粧品の通販カタログには、女性用の「脚剃りあとのローション」のラインナップがやたらと豊富だった。
 てことは、日本人の感覚に引き寄せて「ムダ毛のおていれ」とやると、アメリカ女性らしさを殺すことになる。「脚を剃る」という訳語こそ正確なのだ。
 ちぇー、さんざん悩んだのに、なんなのよ。
 しかも、いま訳している本の舞台はビクトリア時代の英国の監獄なので、誰も脚を剃ろうとしません。

らいぶ

 我が師匠、田口俊樹先生は、実に多趣味な人だ。
 わたしが教室にかよっていたころの師匠は、飲酒、パチンコの二大趣味に夢中だったが、卒業後は、競馬にはまっているという情報まで流れてきた。
 飲む、打つ、ときたか。さては、と思っていたら、なんと、編集者とバンドを組んで、音楽活動を始めたそうな。
 わからん。わたしには、先生がまったくわからん。
 その師匠が先日、ライブハウスを借り切って、伏見威蕃さんと合同ライブを行った。観客はおふたりの弟子や、翻訳家仲間が70名ほどで、立ち見まで出る大盛況ぶり。
 会場で、懐かしい元クラスメートのテーブルに呼ばれて腰をおろし、はて師匠はどこに、と見回すと、「あそこにいるよ」と指し示された。
 全身黒づくめで、赤いバンダナを腕に巻き、グラサンで眼を隠した師匠を発見。「ひー」街ですれ違っても絶対わからないわ。
 すみっこのテーブルで、あやしい師匠はビールをあおっていた。わたしの隣で友人が囁いた。「田口先生ね、風邪をひいて、中耳炎になっちゃったのよね」酒は耳によくないと思うんですが。ひそかに心配するわたしたち。
 さて、30分もたったころ、おもむろに師匠は立ち上がり、ステージにのった。たちまち轟くビートルズナンバー。爆音は耳によくないと思うんですが。ひそかに心配するわたしたち。
 意外にも、師匠はめちゃくちゃ歌がうまいのだった。しかもギターを弾きながらの熱唱で、単なるカラオケシンガーでないのがすごい。
 対する伏見威蕃さんは、カントリーでなごやかに場を盛り上げる。しかし、翻訳家というのは、皆さん、時間の使い方が上手なのでしょうか。翻訳の仕事のほかに、翻訳学校の講師をして、ライブまでこなして‥‥だんだん暗い気持ちになるわたし。
 さて、舞台のほうは「ゴスペルシスターズ」なるご婦人がたのゴスペルや、田口組の美人有志連によるカーペンターズが花を添え、絶好調に盛り上がってきた。
 と、突然、あのお洒落でちょっとイタリアンな紳士、小林宏明氏が、フレアースカートのレディとともにフロアに出てきて、田口先生のマイクに激突しながら、優雅に踊りだしたではないか。「おおー」どよめく観客。それにつられたのか、皆、つぎつぎにフロアに飛び出し、踊り出した。「わあ」映画を見ているようだわ。
 ライブ終了後、「フロアが狭かったね」という声が続出した。というわけで、次回は全員が踊ることを前提に、でっかい会場が選ばれるかもしれません。

お菓子

 仕事で東京創元社に行ったある日。
 すこし離れたところから、社長の戸川さんを会社の入り口に発見した。お客さまのお見送りをしているところだった。ひととおり挨拶がすむと、お客さまはくるりときびすを返し、すたすたと歩き出した。すると、戸川さんはぴしりとかたちを正し、遠ざかるお客さまの背中に向かって、深々と直角にお辞儀をした。
 そんな折り目正しい戸川さんと、わたしは「似てる」と言われる。
 旅行に行って楽しみなのはお買い物。自分のものより、お土産を買うのがおもしろい。
 松浦さんに仕事の本を送った時も、フェリシモの箱をあけたらいきなり「信州限定 野沢菜おっとっと」が出てくるように詰めてあげた。夏休みで北海道に行った時も「トマトのようかん」とか、その土地ならではの限定品を編集部に持っていった。
 しかし、「いかすみクッキー」はやりすぎた。
 編集部に持っていったあと、だいぶたってからうちの分を食べてみたのだが、あまりのなまぐささに倒れそうになった。うわー、なんてものを持ってっちゃったんだろ。
 後日、慶徳さんに「いかすみクッキー、まずかったでしょ」ときいてみた。
 すると、食べていない、との答え。「おやつ置き場になかったから、ほかの人が食べちゃったんじゃないですか」
「ええー、だってあれ、すっごい味だよ」
「いや、もっと強力なのがありました」
 実は、戸川さんも地域限定ものが好きなのだった。それで、中国に行った時に「鶏肉入りクッキー」なるものをお土産に買ってきたそうな。‥‥なんか、血の臭いのするお菓子ですね。
 いったいどんなものやら、実物を見ていないわたしには、よくわからないのだが、とにかく見た目がすでに脂ぎっていて、誰も手をのばそうとしなかたらしい。
 慶徳さんが言った。「やっと、ひとりだけ手をつけましたけど」
「ほほう」
 しばらく考えて、わたしは言った。
「そのひとりって、あの蛇を飼っているというホラー担当の人?」
 慶徳さんは大きくうなずいた。「そうそう、そうです」
 さすがだわ。プロだわ。

 この話には後日談があって、実はほかにもふたり食べていたことが判明。
 ひとりは慶徳さん。(あんたもかい)
 もうひとりは、長谷川さんという旧ホラー担当の人だそうです。

 編集部からゆかいなメールがとどきました。

実物は、お書きになったものよりもすごいものでした。
約3年前(当時、牧原家にはハムスターが1匹いるだけでした)の、戸川社長のインドネシア土産だったのですが、
「アジア風でへんてこなお菓子を作れば、観光客がだまされて買っていくにちがいない」
という、悪意の産物のようなものでした。
・鶏ガラだしのみそラーメンのスープで
・ふつうのクッキーの生地をこねたようなしろもの。
したがって
・甘くて、油っぽくて、みそとショウガがきいていて、後味は日清チキンラーメンにそっくりという味。
味覚がこのミスマッチを認識できず、慶徳、牧原ともに
「これはいったいなんなんだ」
と、舌を疑いつつ、一枚、また一枚。そして……
「あ、なくなってる」
という結末を迎えました。
いかもの食いと探求心は紙一重、といったところでしょうか。
いまだあの味は理解できません。


  東京創元社 編集部 牧原

ありがとー、まきはらさん!

タイムカプセル

 かつて訳した本をぱらぱらめくると、思わぬところで、わー、なつかしー、という言葉に出会う。
 わたしの場合、それは台詞に出てきます。
 なにしろ、登場人物のモデルが、その時、読んでいた漫画や、見ていたアニメのキャラクターだったりするので、口癖や口調をまねると、どうしてもそうなるのだ。
 あるなまいきなおぼっちゃま青年医師が「ふーっ、やれやれ、困った人だな。いいかげんにしなさいよ」なんて言うのは、クレヨンしんちゃんのものまねだった。
 高慢ちきな若奥さんが聖職者の夫に対して「あなた、馬鹿じゃないの」と言い続けるのは、アスカちゃんが「あんた、バカァ?」を連発していた名残りなのだった。
 ふっ。だって、ゼロからのキャラ作りって難しいんだもん。
 この前、書類、というほどでもない、紙クズの束を整理していたら、
ホルト・・ディーン
ジャン・・シャルル

 
なんていうメモが出てきた。
 ああー、そういえば、あの作品の主役ペアは、「ツーリングエクスプレス」(少女漫画です)の主人公たちをイメージモデルにしたんだっけ。最終的には陰と陽ってところしか似なかったけど。
 おまえのは全部、アニメか漫画のキャラがモデルかい、と言われそうだが、そんなことはない。ちゃーんと、小説の登場人物も参考にしています。
 トビーとジョージのでこぼこコンビ探偵にも、一応、モデルはいるのです。
「トビーはねえ、ちょっとまぬけなエラリー・クイーンなの」
 わたしがそう言うと、慶徳さんは首をかしげていた。「かなりまぬけだと思いますが」いや、たしかにそうだけどさ。
「でね、ジョージはドリトル先生がモデルなのよ」
 慶徳さんは、ますます首をひねるばかりだった。
「いや、ほら、ちっちゃくて、肥ってて、おっとりした喋りかたをするでしょ」
「はあ」
「だから、わたしの中では、ドリトル先生と、ぼのぼののお父さんと、ムーミンパパを足して3で割ったのが、ジョージのモデルなのよ」
「はあー」
 結局、漫画とアニメからはなれられないわたしなのだった。