増刷がかかる時には初版の間違い箇所や、ここは気になるから直したい、という部分を訂正することができる。
「今度、これを増刷することになりましたので、初版を読み返して、訂正箇所を探しておいてください」
「あーい」
という会話のあとで、気になるところをかたっぱしからメモしていくのだが、前回、それを一生懸命にやりすぎてしまった。訳した時に怖くてなかなかけずれなかった<と彼は言った><と彼女は思った>というような語句がうるさく見えて、どんどん落としていったのだ。
やがて慶徳さんから電話がかかってきた。
「訂正は何ケ所くらいありますか?」
「えっ? い、いっぱい」
黙る慶徳さん。「‥‥だいたいどのくらいですか」
「‥‥さ、さんじゅっこくらいかな」
後日、慶徳さんに言われた。
「70ケ所以上あったじゃないですかっ」
「そ、そーお?」
数えてないもん。てきとーだもん。
まさか、全部なおしたわけでなく、本当に気になるところだけを取捨選択してなおしてくれたらしいが、それにしてもあまりに気の毒なことをしてしまったと思い、今回の訳者校正では心を鬼にして、ばっさばっさと代名詞関係を切っていくことにした。
いや、もっと腕のいい訳者なら最初からそのあたりは調整できるのだろうが、わたしは、最初はある程度残して、全体のバランスを見ながらだんだん刈り込んでいくというやりかたでないと、怖いのだ。
刈り込みましたよ、今回は。500個くらい切り捨てたかねえ。(その数字もてきとーだが)
血をぶんまいたように、ゲラが赤ペンで真っ赤だわ。
ところで、慶徳さんは原作者のさば読みをも見のがさなかった。(70を30というのはもはやさば読みではないような気もするが)
作品中、約16年間、無実の罪で服役させられていた主人公が「おれは5810日間もの間ぶちこまれていた」と恨みごとを言うセリフにも、彼は几帳面に鉛筆を入れていた。<〜年〜月〜日から〜年〜月〜日までなので、5802日間だと思います>
け、計算したのか。美少女 <ストーキングホース(仮)>という文字を見るたびに胃が痛む毎日。
あいかわらず邦題が決まらないので、編集部の慶徳さんは「タイトルはまだ?」と集中砲火をあびているそうな。「タイトルが決まらない事には表紙も作れないんです」だって。「なにかいい案はありませんか?」
「<隠れ馬>でいいよ」わたしは"Stalking Horse"の辞書の訳語そのまんまをあげた。
しかし慶徳さんは厳しかった。「<隠れ馬>という日本語は意味不明です」
「じゃ、<隠れみの>でいい」ふたたび辞書の訳語そのまんまをあげた。
「<隠れみの>ではあまりに月並みでいやだから、こうして困ってるんじゃないですか」
そうだ、あまりにベタでいやだと言ったのはわたしだった。ああ、言わなければよかった!
しかたがないので、辞書や類語辞典をぱらぱらめくる。それにしても<隠れみの>を類語辞典でひいても<衣服>の項でしか出てこないのはなぜだろうか。ええい、使い物にならん。
さんざん悩んだあげく、ついに<ストーキングホース>という単語の連想ではなく、ストーリーから題名をひねりだすしかないと結論を出した。
さてあらすじは・・えん罪で16年も服役していた主人公が外に出て、自分をはめた真犯人を推理によってつきとめようとする超傑作本格推理小説(おいおい)なのだが・・<犠牲>、<スケープゴート>・・ああ、ますます陳腐になっていく。
ん、待てよ。長く辛い冬の時代を耐え忍び、いまようやく真犯人探しの旅に出る主人公の心境と言えば、まさにアレではないか。
「<冬来たりなば>は?」
「‥‥」黙る慶徳さん。
こうなったら名作をぱくろうと、横溝作品の題名を眺めたりもした。<仮面劇場>、<仮面舞踏会>、<悪魔の家>・・だめだ、わけがわからないわ。
やがて、脳みそシェイク状態のわたしの頭には、なぜかマグリットの名画<白紙委任状>が浮かぶようになった。幻覚を見るようになったらおしまいだ。迷路のような森の中を進む主人公が見えるよおおうう。
白紙委任の森。
騙し絵の森。(だましえのもり)
騙し絵の檻。(だましえのおり)
あ、ちょっといいかも。
わたしはさっそく慶徳さんにメールを出した。こんにちは。タイトルですが
「騙し絵の檻」(だましえのおり)
もしくは
「騙し絵の囮」(だましえのおとり)なんてのはどうでしょう。
表紙は美少女希望。
やがて返信が。
中村様
結局、タイトルは『騙し絵の檻(だましえのおり)』にしました。
カバーはまだ未定。でも、美少女は不可です。東京創元社 慶徳
巳年 ミステリ忘年会に行って参りました。
デビュー直後の1年目は、緊張のあまり食べ物がのどを通らず、貧血を起こして倒れそうになったものだが、3年目ともなるとそんなことはない。
ひたすら食べる。
疲れたら坐る。
知り合いを見つけてひっついている。
この3つを守れば、いくら人見知りでも、お酒がまったく飲めなくても、2時間の立食パーティーを楽しく過ごすことは可能なのだ。
本当はこういう機会に編集者さんたちに名刺を配ってうりこんでまわるべきなのだろうが、それをやるとまた緊張でおなかを痛くしそうなので、今年は数少ない友達の顔をひさしぶりに見る、というのを第一目標に置くことにした。
会場についていきなり会ったのが、師匠の田口俊樹先生。開口一番、師匠は言った。
「メール見てる?」
「は?」
すみません。メルアド変更を伝え忘れていました。
その後、田口先生とバンドを組んでいる新潮社の若い編集者さんがライブのはなしをしてくれた。
ひょっとして先生はライブを見にこいという命令、いや、招待のメールをくれたのでしょうか。
「ビートルズをやってるって本当?」とその編集さんにきいたら、それは「田口のオールディーズコーナー・」として独立しているようだ。そうか、そこだけ年寄りなコーナーなのか。
ところで今年は「中村有希」という名札を見て、「お名前はかねがね‥‥」と親しく声をかけてくださる人が多かった。そんなに有名になったはずはないが、と首をひねっていたのだが、やがて理由は判明した。
あちこちのミステリ系ホームページの掲示板でまぬけな書き込みをしているのを、プロの書評家のかたがたにばっちり見られていたのだ。そういえば皆さん、「またサイン本を買うんですか」とか言っていた。うわー、恥ずかしー。
そうしてふらふら歩き回っていたわたしは、東京創元社の牧原さんに声をかけられた。
「中村さん、ホームページ拝見しました」
やばい。以前、へび2匹とハムスターを飼っていると、ここで暴露してしまった編集さんである。
「あのあとへびが増えまして」
「‥‥生まれたんですか?」
「仕入れました」
体調160cmのボアです、と彼は嬉しそうに語った。
ボーナスはたいて、ローンを組んで、大蛇のみならず、山椒魚、亀、蛙と、爬虫類の家族をどんどん増やしているらしい。
「あのー」わたしはひとつ気になることを聞いた。「その大蛇の餌は?」
彼はにこやかに答えた。「冷凍ねずみです」
今度、160cmの抜け殻を見せてくれるそうな。
ありがたや、ありがたや。狙い撃ち なぜかプロでもないのに解説の仕事を3本もしたことがある。というより、やらされたのだ。
それにしても、他人の本の解説を書いてみて初めてわかったのだが、解説書きというのは実にしんどい。プロの書評家というのはこんなにたいへんな仕事をコンスタントにこなしているのか、とつくづく尊敬してしまった。
あれは頭を、脳味噌を、激しく消耗する作業です。
だから、初めての解説書きをうっかり引き受けて死ぬ思いをしたわたしは、2度目の話でさんざんごねた。「いやだー、あんな命をすり減らす仕事、もういやだー」
当然、3度目に「解説を」と言われた時も、いやじゃいやじゃと文句をたれた。
「書きたい人に書いてもらえばいいじゃん」
「この本を好きだと言ってくれた人に書いてほしいんです。中村さん、好きでしょ」
作品を好きな人に書いてもらった方がいい解説ができる、と松浦さんは力説する。でも、わたしは分析とか比較とか、めんどくさいことはいやじゃ。
「プロに頼めば?」
「頼もうと思っていたプロの人がつかまらなくて、もう期限が迫ってるんです」
代打かい!
わたしの怒りの波動を感じたのだろうか。松浦さんは、「解説を書くなら、この作家の前の作品と比較したほうがいいですよね。お返事はそれとゲラを読んでからでも結構ですから」と、笑顔で既刊2冊をくれた。わあい、ラッキー!
しかし、本がうちに届いたあとで気がついた。物をもらっちゃったということは、やっぱり引き受けなきゃならないんだよね?
というわけで、1999年クリスマスから2000年お正月にかけて、わたしはメルヴィン・バージェスの解説を書いてすごした。プロがつかまらないわけだよ、こんな時期。(バージェスの作品はどれもおもしろいから読んでね・)
さすがは大晦日だか元旦だかに、駅で翻訳者と待ち合わせてゲラを渡したという伝説を持つ男、松浦さん。春には「ゴールデンウィークに旅行に行く予定はありませんよね」と、とんでもないことを言い出したものだ。
ちょうどその時期に、次の本のゲラがあがるから訳者校正しろ、と。
きーっ!年賀状 もうすぐ新世紀という12月某日。うちにゲラが送りつけられた。
クリスマス、お正月とかけて訳者校正をして、年明け一番に原稿を持ってこいというのだ。ううううむ。なんと根性が曲がっているのでしょうか。
2001年の年始は休む気まんまんだったわたしは、ちょっとむっとした。2年連続なんてひどいじゃん、ねえ?
そんなわけで、今年の年賀状には「みんな、きいてよー。お正月に働かされるのー、しくしく」というようなことを書いた。
この年賀状がはからずもアンケート調査になってしまった。
これに対する返信がぞくぞくと届いたのだが、反響がまっぷたつに別れたのだ。翻訳家組と編集者組に。
翻訳家の知人から来たものは、「わたしもです」「わたしもです」「わたしもです」の連続だった。なぜ? 翻訳家って正月に働く職業なの?
アンケート結果を見るまでは、わたしの担当をしてくれている約2名の編集さんが特別に意地悪なのだと思っていたが、そうではなかったらしい。
編集者組の年賀状を見ると、別な意味で「わたしもです」「わたしもです」「わたしもです」の連続だった。
某有名編集者からのお返事を引用させていただきましょう。
「ゲラを訳者に渡して休みにはいりたいというのは編集者の性ですね」
ふうーん。だけど、そんなこと翻訳学校で教えてくれなかったわよ。身近にギョーカイの人がいないと、そういう話は聞けないじゃないさ。
と、ぶつぶつ言いながら、大学時代からの親友の年賀状を見て、ひっくりかえりそうになった。彼女は某出版社に就職したのだが、わたしとは全然、分野が違うので、仕事の話をしたことがほとんどなかったのだ。忙しい?
わたしもよく、12月30日あたりに、著者校を送りつけて
「1月4日必着で、お願いします・」
と、いうことをしていました。(今も)おまえもかい!