いやがらせ

 機械の頭脳を持つ人間こと慶徳さんが、コンピューター部署に異動になった。
 ちぇ。いじめがいのあるやつだったのに。遊び相手がへってしまったわ。
 その慶徳さんからひさしぶりにメールが来た。「このミスで『荊の城』が一位になりました。そのコメントの原稿をお願いします」
 わたしはすぐに返信した。「やだよ」
 直後に、慶徳さんから電話がかかってきた。「去年、私が書いたのと同じような体裁で、一ページ分の原稿を、と宝島社から依頼が来ているのですが」
「去年、きみが書いたページをコピペすればいいじゃん」
 前回『半身』が一位になった時、宝島社からやはり担当編集者のコメントを求められたそうなのだが、その時点ではすでに担当編集者が退社してしまっていたために、慶徳さんが書くはめになった。しかし、『半身』について書きようのなかったかわいそうな彼は、「そうだ、もうすぐ二作めが発売になるから、そっちを宣伝しちゃえ」と、原稿の九割がたを『荊の城』の宣伝に使う荒ワザでなんとかのりきったのである。
「いえ、そういうわけには」
「だったら、去年、なんであんなに完璧な『荊の城』のコメントを書いちゃうのさ」
「ふつう、二年連続で一位をとるというのは想定してませんから」
「・・」
「私が去年と同じことを書いてもなんですし」
 うう、今年は本当にあたししか書く人間がいないってことかい?
 わたしは暗い声で返事をした。「わあったわよ。書くわよ。だけど、どうなっても知らないからね」
「内容がですか?」
「そう」
「大丈夫です」
「なにがっ!」
「では先方には御快諾いただいたとお伝えしておきます」
「いまの会話のどこに<ごかいだく>の部分があるんだ!」
「では失礼します」
「ちょっとっ! あんたっ! どーゆーこと」
 電話は切れた。あいつめ〜。担当編集者としての最後の仕事がいやがらせとは〜。
 こうしてわたしは昼の二時から夜中の二時までうなりながらワープロを叩くはめになったのだった。作文は苦手だとゆーとろーが!
 許さん。

 のちに宝島社の人から聞いたのですが、「このミス」に訳者がコメントを書いたのはわたしが初めてだそうです。知らないぞ。あんなレベルの低い前例を作っちゃって〜。

初悩み

 女性誌からインタビューの企画書が送られてきた。

「私のイチオシ本」

 おお! エラリー・クィーン様の宣伝ができるのね! ふっふっふ、どれにしようかしら〜。
 しかし、そのあとを読んで思わず唸った。

「あまり知られていないけれど本当におもしろいミステリー小説というテーマで」

 あまり知られていない・・じゃあ、有栖川有栖さんも、山口雅也さんも、鯨統一郎さんもだめじゃん。
 カドフェルもだめだよね。ジル・チャーチルもだめだよね。
 そもそも、わたしが好きな本というのは本格か新本格がほとんどで、「このミス」でとりあげられているか、コミケでメジャー展開しているか、BBCがドラマ化しているか、古典すぎて誰でも知っているか、なのだ。コージーものは、女性誌読者の間ではけっこう知られているだろうし。
 う〜ん、じゃあ、マイナーな古典でいくか?
 しかし、全国で泣いて喜ぶコアな読者が3000人しかいないようなマニア本を、普通の女性誌で紹介していいのだろうか。
 さらに企画書の先を読むと、もっととんでもないことが書かれていた。

「現在も入手可能なものをお願いいたします」

 ねえよ!
 そんなもん、ねえよ!
 わかってないわね〜。ミステリで「あまり知られていない」ものは、すぐに入手不可になってしまうのよっ!
 今回のインタビューは『荊の城』の訳者に、ということだったので、「そうだ! ヴィクトリアン・ミステリの傑作で、わたしが大好きなシリーズだけど、いまいちメジャーではないアン・ペリーにしよう!」と調べてみたら、在庫切れだったんだからね。
 テーマのあまりの難しさに、一晩悩んでしまった。
 うう〜。

 皆さんなら、何を選びますか?

いいかげん

 ニュー担当、宮澤さんからソーヤーのゲラが返ってきた。ゲラには宮澤さん手作りのタイムテーブルが添えられていた。
 なんと彼は、物語の時間軸にそってすべてのイベントを書き出し、登場人物の動きをチェックしてくれたのである。
 マメだ。偉い。ミステリの編集者って、ミステリの編集者って、ミステリの編集者って・・変。(いやいやいや)
 しかし、おかげでたいへんなことが判明した。
「金曜日に集会が行われる、とあるのですが、金曜日に集会が行われた様子はありません」
「えっ?」
 読み直してみると、たしかにそんな気配はないのだった。気配はないくせに、「集会が行われる」というセリフは、何度も何度も出てくるではないか。
「どうしますか?」
 どうしますって・・どうしようもねーよ。
「<金曜日>をとってしまおう。それがいちばん簡単だよ」
「そうですね」
 まったく、ソーヤーはどうしていつも、こういうところがいいかげんなのかね。
 しかし、もっとたいへんなことも判明した。
「このイベントからおよそ1週間後のはずなのに、3日後と書いてありますけど」
「えっ?」
 ほ、ほんとだ。
「どうしますか?」
「・・<3日後>を削除しよう」
「それがいいですね」
 あ〜、も〜! 原作の編集者はチェックしてるのかね。
 ところが、このあと、もっとどうしようもないことが判明した。
「このカレンダーでいくと、弁護士事務所が開いているのが日曜日になってしまいますが、いいんですか?」
「えっ!?」
 いいんですかって・・いいわけねーよ。
「どうしますか?」
 どうしますって・・どうもこうもねーよ。
「無視しよう」いいよ、もう。日曜だろうがなんだろうが。普通の読者はそこまで計算しないって・・たぶん。
「はあ」
「だって、ほかの曜日を全部ずらすのは無理だよ」
「やっぱり・・そうするしかないですよね」
「いいの。もう。あたしのホームページのネタにするから」
 というわけなので、6月にたぶん出ることになる新刊では、曜日のミスを追求しないでください。

いいかげん その2

 上の「いいかげん」をupしてから数時間後。
 宮澤さんからメールが届いた。いや,別に,これを書き込んだからではなく、れっきとした仕事のメールです。

お世話になっております。
東京創元社の宮澤です。

さっそくソーヤーの一件をネタにされているようですが、
……えーと、この場合お礼をいうべきなんでしょうか。
とりあえず6月刊行を目指し鋭意努力中でございます。
砂原さんの絵も既に到着済みですので(今回もたいへん
かわいらしいカバーにしあげていただきました)、あとは
当方ががんばるだけです。がんばります。

各所の広告で既にご存知かとは思われますが、結局
タイトルは『ピーナッツバター殺人事件』といたしました。

  という前置きのあと、あれこれ仕事の話が続いて、最後に追伸が書かれていた。

追伸:
どうでもよろしいといえばよろしいのですが、日曜日に
開いていたのは
弁護士じゃなくて会計士事務所ですね。

 どう思いますか、みなさん。
 作者もいいかげんなら、訳者もいいかげんでございますよ。
 宮澤さん。苦労をかけるねえ。

いいかげん その3

 さて。<いいかげん その2>の翌日、最終チェックの電話がかかってきた。
 前作の設定と比較してみたら、またまたアヤシいところが出てきたそうな。
 フロントの夜勤でバイトしているジミーくんの名字が全然違っていたり、関節炎に苦しむおじいさんがいつも苦労している階段の段数が増えていたりと、作者が初期設定を目分量でてきとーにやっていたことが判明。
「あの〜、ほかの作家もこんなふうにいいかげんなんでしょうか」
 いや、いままでの経験では、ソーヤーがいちばんいいかげんでした。なにしろ第1作目では、主人公の部屋の位置がその作品中で勝手に移動していましたからね〜。
 しかし、これでひとつ学んだ。アメリカの作家は実にいいかげんだ。シリーズものをやる時には、きっちりと設定メモを訳者のほうで作っておかないと、だめなのね。
 でも、あの、実は、ソーヤーの次の原稿はもうできあがっちゃってて〜、そっちの設定はノーチェックだし〜。もう、いまさらむかしの設定とか、忘れちゃったし〜。
 ああ,いいかげんな作家といいかげんな訳者のせいで苦労をかけるねえ。次にシリーズものをやる時には設定メモを作っておくから許して。
 それでも、ここまでは訂正できたのだが、またもや、なおしようのない記述が出てきた。
「これ、秋の話なんですが、庭にあじさいと君子蘭が咲いてるんです。カリフォルニアでは咲くんでしょうか」
「・・あじさいって、あれはどうして咲くの? 雨期だから?」
「どうなんでしょう。ネットで検索してみたら、一応,7月8月に咲いているようなのが出てきたんですが」
「カリフォルニアでは咲く時期が違うのかなあ。いや、そんな馬鹿な」
「別の花にするわけにもいきませんし」
「そうだよね。ったく、書いてて秋だってこと忘れたのかな。ほんとにいいかげんなんだから」
「どうしましょうか」
「いいよ、もう。カリフォルニアでは秋に咲くことにしておこう」
 という、やりとりのあと、「君子蘭はともかく、あじさいはすぐに読者に不自然さがばれるよな。とにかく、ネットで検索してみて、理論武装しなくては。何も見つからなかったら、またHPのネタにしちゃえ」と、わたしは検索をかけてみた。
 すると、なんと。驚いたことに、カリフォルニアではあじさいの咲き方がいいかげんだということがわかったのだ。
 「加州通信」http://373news.com/tikyu/2001/kasyu/index.htmより。

 > カリフォルニアに住む私の家の裏庭にも紫陽花が咲いている。何でも大きいアメリカのせいか、こちらの野菜も果物も花も木もジャンボ・サイズが多い。紫陽花も例に漏れず超大輪である。色も赤紫で、もうひとつ情緒がない。もともと砂漠地帯で雨が少ない土地だけに、あまり水がなくても育つ種類のようで、逞(たくま)しいというか、1年中咲いている印象がある。もちろんシトシトと雨の続く梅雨もなく、太陽の強い日差しの中でじっとしている。

 ええ〜!!
 ごめんなさい、ソーヤー。あたし、どこまでもいいかげんなばーさんだ、とか言っちゃったわ。

ピーナッツばたばた事件

 一度、本になったものを読み返すと、なおしたいところがいろいろ出てきてしまう。
 だから、本当は読み返したくないのだが、そうも言っていられないので、『ピーナッツバター殺人事件』の見本が届いたその日に、メモ帳片手にのたのたと読み出した。
 ぬう。この句読点は。この代名詞は。このつながりは。こうしたほうが読みやすいぞ。
 などなど、出るわ出るわ、30カ所あまり。おかしい。あんなに一生懸命、校正をしたのに〜。
 くらくらしながら、メモを担当の宮澤さんに送った。
 すまん。まかりまちがって増刷されることがあったら、この中からてきと〜に取捨選択してなおしてくれたまえ。
 それからしばらくたったある日。前々担当の小姑こと松浦氏からファックスが届いた。
 辞書の文字より細かい文字でびっちりと(誇張ではありません)、『ピーナッツバター殺人事件』の中で気になる点が書かれていた。
 こ、このひとはなぜ、こんな一銭の得にもならないことを、貴重な時間を費やしてやってくれるのか〜。どうも、どうもありがとう〜。
 もちろん、それも編集部に送った。
 すまん。宮澤さん、さらに1ダースほど、訂正箇所候補を増やしてしまったよ。
 まあ、増刷はされないかもしれないけど〜。
 と、思っていたら、なんと。増刷が決定してしまった。もちろん、宮澤さんから電話がかかってきた。
「あの〜。いくらなんでも、この数を全部なおすというのは・・」
「うん。まあ、そちらでよきにはからってくれたまえ」
「はあ。では、そのようにさせていただきますので」
 というわけで、わたしの指摘、松浦さんの指摘から2、3カ所ずつ、宮澤さんの指摘から1カ所、ちょっとずつ手直しすることになった。
「あの〜。松浦さんって、いつもこうやって校正のファックスを送ってくれるんでしょうか」
 えっとね〜。「彼が退社したあと、”原書を持っているから、『荊の城』が出たあとで、つきあわせて校正してあげます”って、本当に校正メモを送ってくれたよ」
「そういえば、今回のも、”こういう原文をどんなふうに処理するか”、とか書かれていますね」
「あのひと、なんで原書持ってるんだろ。でも、ありがたいよね〜」
「どうして中村さんのはやってくれるんですかね」
「バカな子ほどかわいい、と思ってるか、あたしのことが好きで好きでたまらないか、どっちかでしょ〜」
 もちろん、後者に決まっているのはわかっていてよ。おほほほほ。
 ありがと〜、松浦さん。あなたの愛は受け止めたわ。次もよろしくね。

 ところで、前々からソーヤーのエージェントのやる気のなさというか、のんきさには定評があったのだが、今回、もっとすごいことを聞いてしまった。
「『ピーナッツバター』の訳書が出たあとで、エージェントからこれの原書が3冊も送られてきたんですけれど」
「あいかわらずだな〜」
「使い道がないので、もちろん送り返しましたが」
「それよりさ〜。作品リストのいちばん最後の作品なんだけど、あれは実在するの? タイトルが発表されただけで、まだ書かれてないの?」
「それもきいてみたんですが、エージェントが把握していないらしくて」
「どうして〜」
 不思議すぎる。
 と、とにかく。作者が生きてるのか死んでるのか、それだけでも教えてくれ〜。